拓海広志「アジア四方海話(4)」

 1998年2月に大阪で開催された太平洋学会の会合でお話をさせていただきました。いつものごとく出たとこ勝負の四方山話ならぬ四方海話ではありましたが、その内容をここで紹介させていただきます。


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 では、次にかつて僕が4年ほど暮らしたインドネシアの話に移ろうと思います。今日の話の冒頭に太地の梶取崎から彼海世界を思ったという話をしましたが、そういう想念が沸き起こる時でも僕たちの頭の中には既に地図が用意されています。頭の中に地図があるというのは便利な面もあるのですが、逆に想像力を減退させてしまう面もあると思います。恐らく太古の人間は岬の突端に立って彼海世界を思った時に、その想像力は遙か彼方まで飛んでいったことでしょう。しかし、現代人の僕たちが熊野の岬から彼海世界を思う場合は、地図の力によってアメリカとかオーストラリア、沖縄、フィリピンなどと、太平洋のことしか思えないわけです。


 ところが、インドネシアで生活しながら地図を眺めると、そこがアジアとオセアニアの交差する十字路のような場所であることに気がつきます。そこにはアジア大陸とオーストラリア大陸を結ぶ道があり、またインド洋からイスラム世界、地中海へと抜ける道、ニューギニアからメラネシア世界へと抜ける道、パラオからミクロネシア世界へと抜ける道、そしてフィリピン、台湾から沖縄へと抜ける道があるのです。こうした道は単なるイメージ上の道ではなく、実際に多くの人間や文物が行き交った道でして、インドネシアから彼海世界を思うと、もう世界中どこへでも行けそうな気がしてきます。

        
 ヤップの話で少し時間を取りすぎたために、インドネシアのことはかなり駆け足でお話しせざるをえないのですが、まずインドネシアというのは豊かな自然に恵まれた熱帯の島々であり、降雨量も非常に多いという特徴があります。その結果、中部ジャワ山岳地帯などの一部の地域を除くと食べ物には恵まれており、飢饉のために人が死んだといった話を耳にすることは稀です。自然の再生力を促す雨の多さと「食」の豊かさということは、特筆される必要があると思います。

        
 次に火山にまつわる信仰と温泉についてですが、インドネシアでは火山はアニミズム的な信仰の対象になっています。インドネシアで圧倒的多数を占めるのはイスラム教徒であり、それに続くのがキリスト教徒なのですが、イスラム教やキリスト教インドネシアに入ってくる前のインドネシアでは、古来のアニミズム的な信仰やヒンドゥー教が支配的でした。現在でも多くのインドネシア人は建前上の信仰の根底にアニミズム的な心性を有しており、火山は破壊と創造の力を有するものとして崇められているようです。


 また、インドネシアでは日本と同様に、大体どこへ行っても温泉を見つけることが出来ます。日本のような風情ある温泉文化はないのですが、それでも温泉を再生力の源泉と見なす点は日本人と同じです。日本でも熊野という土地は死者が再生するところだと言われており、その力を拠り所として修験道が成立していった訳ですが、熊野はまた数多くの天然温泉を持つことでも知られています。


 説経の「小栗判官物語」は中世の日本人の熊野観、温泉観、女性観を考える上で非常に示唆的なのですが、遊女となった照手姫が死んだ小栗の身体を車に載せて熊野まで運び、湯の峰温泉の湯に浸すことによって蘇らせたという話は、熊野の持つ再生力、温泉の持つ再生力、巫女が転化したものである遊女の持つ再生力への信仰を如実に示しています。これと似たような再生力への信仰は、インドネシア各地でも見られるように思います。

        
 それからインドネシアを特徴づけるものとして、幾つかの移民の波と重層的かつ多様な文化の存在ということがあります。オーストラリアのアボリジニも、メラネシアの島々に住む人々も、かつてはインドネシアを通過して行ったわけでして、インドネシア人の古層にはそうした人々がいます。その上に紀元前3000年頃から古マレー系と言われる人々がインドシナ方面から渡ってきます。


 これらの人々は往々にして山奥の辺境の地に追いやられており、有名なところではトラジャ人やバタック人がいます。そして、その上に現在のインドネシア人の主流を占める新マレー系の人々が入ってくるわけです。また、それとは別に宗教的にも幾つかの波が重層的に重なっていますので、インドネシアの民族と文化はきわめて多様性のあるものとなっているのです。

        
 先ほどの話と重複しますが、次はアニミズムイスラムの関係についてお話しします。日本人が仏教を受容した時、それを太古から持っていたアニミズム的な信仰と巧みに習合させることによって、独特の仏教が生み出されていったように、インドネシアイスラム教徒の多くはイスラムアニミズムを巧みに融和させながら日々の暮らしを送っています。


 スンダ人やジャワ人の多くが信仰するものの中に、南海の女神ニャイ・ロロ・キドゥルがいます。伝説によると彼女はもともとスンダ地方の王家の生まれで、大変美しい娘だったそうですが、らい病を患って醜くなってしまったために、世をはかなんで西ジャワのインド洋側に面した町プラブハン・ラトゥ近くの海に身投げをし、やがてその霊が神格を獲得したということになっています。ところが、このニャイ・ロロ・キドゥルはジャワのイスラム王国であるマタラム王朝と密接な関係を持っているのです。


 マタラム王朝の創始者はセノパティという人なのですが、彼が海岸で瞑想にふけっていたところ、その姿を見初めたロロ・キドゥルが彼を海底の王宮に導き、そこで三日三晩抱擁を重ねたといいます。そして2人は夫婦の契りをするのですが、海底を住処とするロロ・キドゥルはセノパティと共に陸の上で生活することはできません。そこで、彼女は常にセノパティと彼の子孫に力を与え続けることを約束し、新しい王が即位する度に新王と交歓することによって王国にエネルギーを注入することとなりました。このことによってマタラム王朝は王権の正当性を獲得し、ジャワ人の神秘主義に訴えかけながらもイスラム王朝を維持していくことが可能になったのでしょう。


 この物語からは様々なことが読みとれると思いますが、重要なことはそこにはイスラムアニミズムの融合が見られるということ。また、もう一つは元々ジャワ・スンダ地方にあったヒンドゥーアニミズム的な信仰を持つ人々をイスラム王権が取り込んでいったプロセスが透けて見えるということでしょう。しかしながら、今日もまだニャイ・ロロ・キドゥルがジャワ人やスンダ人にとってきわめて重要な信仰の対象であることに変わりはありません。

        
 イスラムアニミズムの関係ということで話を続けますが、中部ジャワにチレボンという町があり、その近くにワリ・ソンゴ(インドネシアイスラムを伝えた9人の聖人)の1人スナン・グヌン・ジャティの霊を祀った廟があります。ここには毎年マホメットの誕生日になるとジャワ島中から大勢のイスラム教徒が集まり、夜通し瞑想に耽った後、廟の周囲にある7つの井戸を巡って聖水を浴びるという儀式を行います。僕も一度その儀式に参加したことがあるのですが、イスラム教徒である筈の彼らが山の中に入って大木や大岩、清水などに向かって瞑想している光景を見ていると、彼らの信仰の実相が見えてくるような気がします。

        
 また、ジャワやスンダにはドゥクンと呼ばれる呪術師、呪医がおり、人々の暮らしと深く関わっています。僕も何人かのドゥクンと知り合いになり、彼らが霊と交感するところや、彼らに霊が憑依して人々と語り合うところを目にしたことも何度かあります。地方へ行くとドゥクンは村ごとにいますが、ジャカルタのような大都市でも路地の錯綜する下町には大抵ドゥクンがいます。


 夜になるとドゥクンの周りには近所の人々が集まってきて、様々な悩みを打ち明けたり、相談にのってもらおうとしたりします。ドゥクンは霊の力を借りて彼らに助言をしたり、占いをやったりします。その占いが当たる確率がどの程度のものなのかはわかりませんが(笑)、少なくともドゥクンに心配事を打ち明けた人々は一様に少し肩の力が抜け、ホッとした様子で家路につくのです。


 僕はドゥクンというのは地域の語り部であり、カウンセラーなのではないかと思っています。中上健次氏の小説には新宮の路地に住むオリュウノバという語り部的な女性が出てきます。彼女は幾世代にもわたって路地の人々の生き死にを語り続けるのですが、彼女が物語ることによって路地は共同体たりうるという面を持っています。ドゥクンにもそういう力があるのかもしれませんが、それだけではなくやはり彼らはカウンセラーなのだと思います。


 このドゥクンに似た存在を日本で探すなら、藪医者というのがそれに近いような気がします。藪医者の「藪」という字は後世の当て字であり、本来は「野巫」と書いたそうなのですが、それはすなわち野にありて巫的な治療を行う医者という意味です。ドゥクンや野巫医者のいなくなった社会では、社会学や心理学を修めたカウンセラーが必要になってくるのかも知れません。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【ニャイ・ロロ・キドゥルと縁の深いプラブハン・ラトゥの浜にて】


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