拓海広志「アジア四方海話(2)」

 1998年2月に大阪で開催された太平洋学会の会合でお話をさせていただきました。いつものごとく出たとこ勝負の四方山話ならぬ四方海話ではありましたが、その内容をここで紹介させていただきます。


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 そうした明石海峡、熊野での海をめぐる原体験とは別に、僕は海と船についてもっと知りたいと思って神戸商船大学に入学し、そこで航海学を学びました。大学の卒業航海として僕は練習帆船「日本丸」に乗ったのですが、その際に35日ほどかけて神戸からサンフランシスコまで渡りました。


 今日会場に来ている高橋素晴さんはたった1人でヨットに乗り、55日もかけて同じコースを走ったわけですから、僕より遙かに凄いのですが、いずれにせよ風の力だけで海を渡っている時というのは、自然から様々なインスピレーションを受けます。僕が日本丸での生活の中で受けたインスピレーションのうち、最も強烈だったのは「太平洋に移民拡散していった古代の航海者たちが持っていた知の体系とはどのようなものだったのか?」という問いでした。

        
 人類のテクノロジー史を概観すると、飛行機というものが発明されるまでの間は、船こそが同時代の先端テクノロジーを集約したものだったのではないかと思います。それは大航海時代のヨーロッパの帆船だけではなく、古代の太平洋に乗り出していったモンゴロイドたちが使ったカヌーについても同じことが言えます。

 
 船で海を航海する際に最も重要なことは空間認知、つまり自分が今どこにいて、これからどこへ向かうべきなのかを知ることです。コンパスや六分儀のなかった時代の航海者たちは太陽や星、うねり、海潮流、雲の動きや鳥の動きなどを読みとりながら空間認知をしたわけですが、それらを意味のあるものとして読みとっていくためには、何らかの「知の体系」が必要でしょう。その点に注目するならば、古代航海術を近代航海術の単なる雛形として理解するのではなく、違ったパラダイムに拠るものとして見直すことが可能になります。

        
 こうした問題意識に続いて僕の中で沸き起こってきたのは「人は何故海を渡ったのか?」という疑問でした。勿論、当時は自然条件の悪化によって住んでいた土地を離れざるをえなくなったとか、新来の民族との戦闘に敗れて住んでいた土地を追い出されたとか、いろいろな理由があったことでしょう。しかし、モンゴロイドの太平洋への移民拡散にはきわめて計画的かつ集団的であったと思われる面があり、そこには民族そのものを突き動かした移動への強い欲求があったようにも思えるのです。


 また、さらなる問題意識としては「人は移動した後で、新しい環境に対して如何に適応していったのか?」ということがあります。適応の過程で新しい技術も生み出されたりするわけですが、それを単なる技術論として見るのではなく、人と自然の関係論として見ることはできないだろうか、等々といった様々な考えが僕のところにやってきました。これらが僕が日本丸での生活から得たインスピレーションだったわけです。

        
 こうした問題意識を持ったまま僕は陸に上がり、会社勤めをするようになりました。勿論、仕事はそれなりに面白いですし、結構気合いを入れて働いてきたのですが、仕事とは別に、自分がかつて日本丸の上で得たインスピレーションをもう少しきちんと追求してみたいという気持ちも沸き起こってきました。それで未だに航海計器に頼らない伝統的なカヌー航海技術、つまり天体や自然の動き、生物の状態などを観察しながら、身体感覚だけで空間認知をしながら海を渡っていくという技術を有している人が僅かながら住むというミクロネシアカロリン諸島の離島を訪ねてみようと思うようになったのです。


 カロリン諸島の航海者の中でもヤップとトラックの間に点在する島々のうちの一つサタワル島の航海者は大変有名でして、国立民族学博物館に展示されているカヌー「チェチェメニ号」も彼らが乗り込んで沖縄まで航海してきたものです。それで僕もサタワルへ行ってみたいと思ったのですが、これはそう容易なことではありません。勿論、飛行機は飛んでいませんし、ヤップ島から月に1便ほどのペースで出ている連絡船「マイクロ・スピリット号」に乗って何日もかけていくしか手がなく、既に会社勤めを始めていた僕にとってはそれだけの時間をかけてサタワルへ行くのは無理でした。


 そこで僕はとりあえずヤップ島へ行ってみることにしたのですが、これは正解でした。ヤップというのは人口が1万人程度の小さな島ではありますが、ミクロネシアの中では大きな島であり、歴史的にも、また現在においても一つの政治的・経済的なセンターなんです。ですから、サタワルの人々の多くは比較的頻繁にヤップを訪れており、同島に滞在中はミクロネシア連邦ヤップ州の州都コローニアの町はずれにあるマドリッジという離島民集落で生活しているのです。そんなわけで僕はヤップでサタワルの航海者たちとのコンタクトを実現することが出来ました。

        
 人間が新しい世界に飛び込んで行くと、最初は全てのものが均質的に見えるものです。しかし、長くいればいるほどその世界内における差異、すなわち違いがわかってきます。これは後ほどお話しするインドネシアにしてもそうでして、初めてインドネシアへ行ってもインドネシア人の姿しか見えないのに、しばらく生活しているうちにジャワ人、スンダ人、バリ人、ブギス人、ミナンカバウ人などといった差異がよく見えるようになってくるわけです。


 ヤップにしても同じことが言えるわけで、最初は牧歌的な熱帯の風景の中で幸福そうに生活している均質的な人々の姿しか見えないのが、しばらくその世界に関わっているうちに社会の複雑さが見えるようになってきます。実はヤップ社会というのは島内に散在する村々の間にヒエラルキーがあるのです。だから島民にとってはどこの村の出身者であるかということが非常に重要なこととなります。


 また、先ほどサタワルを含む東方の離島民たちがヤップのマドリッジという集落に滞在するという話をしましたが、彼らはヤップ島のトミール・ガギル地区の大酋長に従属してきた歴史を持っており、かつては朝貢交易も行っていました。長嶋先生によるとこの朝貢交易は一度嵐がくると全てが破壊されてしまうような小島で生活している離島民たちの生存を保障するための互酬的なシステムであると考えた方がよいとのことなのですが、いずれにせよサタワル島民たちがヤップ本島民たちから下位者として扱われていることは事実です。

        
 ヤップを観光で訪れる外国人は、グアムとの比較、あるいはパラオとの比較において、そこを伝統的な文化と自然の残された島というふうに見なすかもしれません。しかし、実際に村の中に入っていくと、日中は老人と女性、そして子供たちの姿しか目にしません。また、浜では期待していたカヌーを見かけることもなく、漁をしている男たちの姿を見るのも稀です。


 実際、男性の大半は州都コローニアで働いており、その中には公務員の肩書きを持つ人が少なくないようです。村で暮らす人々の住居は昔ながらの小さな小屋であっても、最近ではそこにも電気や電話が通じており、食卓にはアメリカから輸入された缶詰食品や米、ビール、また日本から輸入されたインスタント・ヌードルなどが並びます。こうしたことは何故可能なのでしょうか?


 米国のミクロネシア政策が「ズー・セオリー(動物園理論)」として批判されたのは随分前のことですが、かつて米国はミクロネシア地政学的に非常に重視していました。それでミクロネシアの島々を軍事的・政治的に利用し、その見返りとして経済援助を与えてきたわけです。しかし、それによって島民たちは伝統的な生産手段を失い、消費生活の一部が奇妙に近代化されるといういびつな社会が生まれてきたわけです。これに近いことはアメリカ・インディアンやエスキモー、アボリジニーなども経験していますが、そこで起こっている社会病理現象もまた似通っています。


 僕の実体験の中で少しショックを受けたことは、コローニアの町外れで夜道を歩いていた時にいきなり暴漢に襲われたことです。幸い僕は柔道の心得が少しあったので、彼をうまく押さえ込むことができ、しばらくして駆けつけてくれた警官が彼を引き離してくれました。翌朝になって人に聞いたところ、その暴漢はかつてグアムの大学に留学していたエリートだったそうです。ところが、ヤップの社会に戻ってきてから不適応を起こし、精神分裂症になったというのです。こうしたケースは結構多いようで、若年層の自殺率の高さや、アルコールに耽溺する人が増えていることなどと共に、ヤップ社会の大きな問題になっていることを知りました。


 ちょっと暗い話をしてしまいましたが、勿論ヤップは美しい自然の残された素晴らしい島であり、そこでふれる人間の優しさや謙虚さに感動することも多々あります。そうした意味では多くの人々にヤップを訪れていただきたいのですが、他方では美しい風景の裏側にある陰の部分もきちんと見ておかねば、僕たちは自分で勝手に「伝統的な社会」だと思い込んで訪れた世界で、そこを一方的に自分の「癒やし」のためだけに利用するという関係が生じかねません。それは島の人々にとってはありがた迷惑なことかもしれませんね。


 元々、僕はミクロネシアのカヌー航海術を知るためにヤップへ渡り、そこでヤップの人々やサタワルの航海者たちとの親睦を深めていったわけですが、彼らとの関係が深まり、ヤップ社会のことを知るにつれ、何だか少しだけ社会派になっていったようです(笑)。


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