拓海広志「インドネシア料理のイメージ」

 皆さんは「インドネシア料理」と聞いて、どんな料理を思い浮かべますか? 日本には「ジャワカレー」という名のカレーがあるくらいですから、インド料理のようなカレーを連想する人がいるかも知れませんね。でも、残念ながらジャワにはカレーは存在せず、スマトラのパダン料理やアチェ料理の中だけに、カレーとよく似た料理があるのです。


 群島国家であるインドネシアは、海域面積にするとアメリカ合衆国と同じくらいの広さを持つ大国です。そこには250にも及ぶと言われる様々な民族があり、それらの民族が互いに交流したり、影響を及ぼし合いながら様々な料理を生み出してきたわけですから、その多彩さは推して知るべしです。従って、そもそもインドネシア各地の料理を「インドネシア料理」という一言でくくること自体に無理があるのでしょう。


 ところで、インドネシアが独立してから今日に至るまでの間、この国の為政者たちがスローガンとして掲げてきたのは「多様性の中の統一」ということです。しかし、それは地方の文化を尊重するというよりも、むしろ地方の文化を中央の文脈を補完する形で取り込んできたというのが実情であるように思います。これは食文化についても例外ではなく、各地方の様々な料理が首都ジャカルタで普及、一般化し、それなりに洗練された結果、「汎インドネシア料理」というイメージが形成されてきたようです。


 もっとも、インドネシアには宗教上の問題があるため、バリのヒンドゥー教徒やミナハサのキリスト教徒たちが愛好するような豚料理をジャワやスンダで食べることは難しいので(中華料理屋へ行けば話は別)、それは普遍化、一般化の対象にはなりません。また、トラジャやバタック、ニアス、イリアン・ジャヤなど辺境の民の食は最初から無視されているようです。しかし、ごく一般的な話としては、上述のようなことが言えると思います。


 ところで、インドネシア中どこへ行っても繁盛している料理屋を覗くと、その経営者は大抵華人です。実を言うと、インドネシア料理であっても、華人が経営する料理屋の方が往々にして美味しいという現実すらあります。しかし、そこでは華人たちが手を加えたことによってどことなく中華風になってしまった料理も少なくはなく、特に海鮮料理においてはその傾向が強いように思います。


 私見ですが、ジャカルタを中心に形成されてきた「汎インドネシア料理」のイメージは、ジャワ料理とスンダ料理を基調としながらも、香辛料を多く使うことで知られるスマトラのマレー料理やパダン料理の要素を取り入れ、それに各地方の名物料理を手直ししてメニューに加えたもののことで、そこにはいつの間にか華人たちによるアレンジも少なからず加わった料理なのではないかと思います。そして、こうした料理のイメージはメディアの影響を受けたりしながら、地方にも拡がっていったのでしょう。


 ただ、ここで言う「汎インドネシア料理」というのはあくまでもイメージ上の話です。例えば今日、「日本料理」と聞いて日本人も外国人も同様に思い浮かべるのは、寿司、刺身、天麩羅、すき焼き、うどん、蕎麦、丼物などといったメニューでしょうが、現在の日本においても食生活の地域差や貧富差はあるし、かつてはそれがもっと大きかったはずです。インドネシアにおいても、地方を旅してそれぞれの土地の地方料理や家庭料理を食べさせてもらうと、それはジャカルタで形成され、地方にも伝播している「汎インドネシア料理」というイメージとは往々にして異なります。


 しかし、それにもかかわらずこうしたイメージはインドネシア各地に拡がっていきます。現在、インドネシア人自身が「インドネシア料理」として何らかの共通イメージを抱きつつあることの意味は大きいのですが、それはインドネシアを訪れる外国人たちの目には、より普遍的、伝統的なものとして映るのではないでしょうか。そして、この外部からの認知を受けることによって、「汎インドネシア料理」のイメージはさらに固まっていくのでしょう。これはツーリズムを通して地域の文化的アイデンティティが形成されていくことと似ています。


 料理の材料を仕入れるために市場に足を運び、自分で料理を作って、皆で食べるという一連の作業を通じて学ぶことは実に多いです。僕はかつてジャカルタに住んでいた頃に、インドネシア料理についてもっとよく知りたいという欲求にかられ、友人たちに頼んで料理の上手な主婦を何人か紹介してもらい、多くの料理を教わったことがあります。


 至極当たり前のことではありますが、彼女たちの調理法にはそれぞれの出身地によって様々な違いがあり、それに関する論議がしばしばこの「インドネシア料理教室」を盛り上げました。彼女たちの中にはマレー文化と華人文化、さらにインド文化が交錯するスマトラ南東部出身の女性が何人かいましたが、彼女たちの料理に関する知識と技術は素晴らしいものでした。特に香辛料の使い方はジャワやスンダ出身の人たちが作る料理とは比較にならぬほど多彩であり、それが僕にはとても興味深かったです。


 もしもスマトラの料理がなければ、インドネシア料理は全体に平板で変化の乏しいものになっていたかも知れないと思われるほど、インドネシアの食文化は西高東低です。東インドネシアには香料諸島として名高いマルクの島々があるのですが、そこには香料を使った食の文化はありません。このことはマルクがサゴ食圏であることとも関係していると思われ、やはり香辛料をたっぷり使った料理は米食との相性が良いようです。


 最近、日本でもインドネシア料理の看板を掲げる店が増えてきているようですが、そうした店のメニューを見ると、やはり「汎インドネシア料理」のイメージに基づくものが大半です。まあ、それはそれとして楽しみ、インドネシアの地方を旅する機会を得た時に、それぞれの地方に伝わる料理を楽しむというのが良いのかもしれませんね。


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