拓海広志「里山の秋」

 今から7年ほど前の秋に書いた小文をご紹介します。秋になると、なぜか食べ物の話が増えますね〜(笑)。


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 凄まじい猛暑が続いた夏が終わると、また急に冷え込む秋がやって来たものだ。昼下がりに家の裏山を散歩してみると、柿の実もたわわに実っており、季節の変化を実感させられた。試みに実を一つもいでみたのだが、これがなかなか甘くて美味い。果実の甘味こそは旨味の原点だと思い知らされる気がする。


 僕の家はちょうど六甲山東部の登山路の入り口に位置しているのだが、1時間ほども山道を行くと奥池と呼ばれる奥芦屋の別荘地に至り、そこからさらに1時間半ほど登ると六甲山頂近くの一軒茶屋に出ることが出来る。また、家のすぐ近くには北山緑化植物園というのどかな公園があるのだが、そこから北山を抜けると甲山まではすぐであり、家の近所にある里山群を散策するのはなかなか楽しい。


 甲山から北山にかけては古代の巨石信仰の跡をしのばせる巨岩があちらこちらにある上に、甲山の神呪寺を基点とする四国八十八ヶ所の写し巡礼路もあるので、ここを歩くときは自然散策とは別の楽しみもあるのだが、この地域の里山の自然はなかなか豊かであり、有名なイノシシ以外にも、小動物、野鳥、昆虫類、植物、キノコなどの生息種も意外に多く、彼らとの出会いはやはり里山散策における最大の楽しみである。


 実はかつて僕が日本で最も愛し、こだわってきた地域は紀伊半島南部の熊野なのだが、その自然や文化の豊かさを愛するが故に、僕は自分が住んでいる町の身近な自然や文化こそを大切にしていきたいと思っている。別段そんな気負いがあるからではないのだが、僕は週末になるとよく近所の里山を散策している。今日も自宅の裏から奥池まで登ったあと、鷲林寺まで下り、それから甲山、北山を経て帰宅したのだが、この程度の散歩でもちょっとした山歩きとなり、結構気持ちよく汗をかいてしまう。


 奥池から鷲林寺に抜ける道の途中には旭滝という名の落差5メートルほどの小さな滝があるのだが、いつも人気がない上に、水がなかなか清冽なので、ここは僕の好きな場所のひとつである。今日も「修行じゃ」などとうそぶきながら滝行をし、その後瞑想の真似事をしたのだが、これが実に爽快だった。いやはや、軟弱な話だ(笑)。


 鷲林寺は人里離れた山里という趣の静かな寺なのだが、郷土史家の中には北山から甲山にかけては古代に鳥葬や風葬が行われていた可能性があり、鷲林という名はそれを連想させるなどと言う人もいる。かつては文字通り鷲が生息する森だったのだろう。それにしても、日本にもかつてはこうした埋葬の習慣があったことを知らぬ人が増える中、そんなことを想像する機会を与えられるのはありがたい。今日は何気なく寺の境内を歩いていると銀杏の実が幾つか転がっていたので、僕は少しばかり拾って持ち帰ることにした。


 鷲林寺のすぐ隣の林の中にはトラピスチヌ修道院という名のシトー派の修道院がある。シトー派らしく手作りのジャムやクッキーを作っているのだが、それらがなかなか美味しいので、僕は山歩きのついでにそれらを買って帰ることがある。今日もみかんのジャムとラッキョウ浸けを一つずつ買わせてもらったが、そう言えばフランスワインの発展の背景にはシトー派の人々の努力があったことを思い出した。


 その後、甲山の神呪寺に参り、北山を歩いていたらオニヤンマが産卵するところに出くわした。オニヤンマの産卵はシオカラトンボやアカトンボとは違って豪快だが、大きな羽音を立てながら、尻尾をドリルのように水溜りの土の中に突き刺しまくる様子は実に迫力があった。いつまでもオニヤンマやギンヤンマが飛び交うような里山の環境を守っていきたいものである。とは言え、その後すぐに出くわした猪の母子にはちょっと閉口した。連中にはあまり頻繁に里まで出てきてほしくないものだ。


 帰宅してから一風呂浴びて、鷲林寺で拾ってきた銀杏を炒って食べるとこれが実に美味い。臭みがない上に食感が良く、甘味と苦味がうまく調和した味はなかなかのものだ。しかし、今日はそれに加えてとても美味しいキュウリが手元にあったので、それに熊野川特産の鮎味噌をつけて食べることにした。このキュウリは愛知県知多郡有機農家を営むHさんが、玉ねぎやジャガイモといったその他の野菜と一緒に送ってくださったものなのだが、実に芳醇な味で、いくらでも食べてしまえる美味しさだった。


 こうなるとワインを開けぬわけにはいかないので、フランス産の有機ワインを専門に扱う商社を経営しているTさんから買ったボジョレー産の有機赤ワインを飲むことにしたのだが、これがまた銀杏と合う。不思議なことだが、キュウリ味噌やラッキョウ漬けとも合う(気がする(^^;;)、ことにしておこう)。いやはや至福の一時とはこういうことを言うのだろう。


 それにしても、古代のメソポタミアやエジプトで生まれたワインがヨーロッパのキリスト文明圏において重要な役割を果たすようになったのは不思議なことだが、世界に数ある酒の中でもワインほど多くの物語を伴うものはない。ワインにまつわる話をしながら飲んでいると、あっという間に夜が更けていき、その内にワインがいかに深く西洋の文化に関わってきたのかを思い知らされるのだが、現在ワイン誕生の地に住むイスラム教徒たちがお酒を飲めないことはご承知の通りだ。


 ところで、今夜は近所の越木岩神社という神社の秋祭りだったので、僕はワインは1本だけでやめておき、神社に足を運んで参拝することにした。ほどほどに勇壮なだんじりが神社の近くを練り回していたが、露天は夕方には閉めてしまったようで、祭りの夜にしてはいささか寂しい感じがする。僕は本殿と、その奥に鎮座する越木岩(甑岩)に参った。夜店の風情を少し期待していただけにちょっと寂しくなり、僕は神社の近くにあるカフェでコーヒーを飲むことにした。


 それにしてもコーヒーにせよ紅茶にせよ、それが欧州で拡がっていった背景には植民地の存在があったわけで、そう思うと自分たちの欲望をどこまでも追求し、実現していく西洋人の持つパワーは凄まじいものだと、今さらながら感心してしまう。ビジネスの世界で言うグローバリズムとはつまるところ、こうした欲望を世界中で同じように共有した上で、同じルールに基づいて競争しながら共存していきましょうよということなののだが、それに対して「何だかおかしいぞ」と思う人も少なくはないようだ。


 しかし、コーヒーとはそもそもイスラム文明圏の飲み物である。健康、安全、長寿を偶像のように崇拝し、太陽を神聖視するヨーロッパ人とは異なり、スーフィーたちは厳しい苦行を求め、夜の月を神聖視した。そんな彼らにとって、食欲や睡眠欲を取り除き、また決して身体に良いとは言えないコーヒーこそは正に「禁欲の飲み物」として重宝すべきものだったのである。そのコーヒーも英国に渡ってからは人々にコーヒーハウスを作らせるまでになり、それがイギリスの人々が市民社会を形成していくための交流の場となったのだから面白い。


 ワインを巡ってみても、コーヒーを巡ってみても、ヨーロッパとオリエント、キリスト教世界とイスラム教世界には実に様々な違いがある。根っこの部分は同じだったはずなのに、どうしてこんなに違ってしまったのだろうか? 


 多様性を重んじる自由主義と民主主義が大きな試練に立たされる今、八百万の神と仏が融合してきた世界に生きる私たちはどう問題に対処していくべきなのだろうか? 


 好むと好まざるとに関わらず、既に世界は一連托生。誰もが当事者とならざるをえないのが「現在」のようだが・・・。残念なことに、ワインの酔いが秋の夜風とコーヒーですっかり醒めてしまったようである。


 ※関連記事
 拓海広志『モンドヴィーノを観る』


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【甲山】


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