拓海広志「信天翁ノート(5)」

 これは僕が学生のとき(今から20年ほど前)に書いた未完の連作エッセイに、その後ジャカルタ在住中に少し加筆したものです。当時とは連作の順序を変えて紹介させていただこうと思います。内容的にはかなり未熟なものですが、もしよろしければお付き合いください。


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 かつて帆船日本丸で太平洋を横断した時のことだが、この広大な太平洋に点在する島々に古代から多くの人々が渡り、さらに遠く離れた島から島へと交易や漁労、戦争や移民の為に帆走カヌーで海を渡りながら暮らしてきたことに対し、僕は強い畏敬の念を抱くようになっていた。


 そもそも人々は何故海を渡ったのだろうか? それが僕の最初の疑問であった。そして、彼らが持っていた渡海の技術の背後にあったであろう、自然を読み取る「知の体系」のあり方に対しても、僕の関心は向かい始めていた。


 航海計器の存在しなかった時代に、人々はどのようにして大海原を渡ることができたのだろうか? その全てを漂流のような単なる偶然の積み重ねの結果として見るのは、かえって無理があるだろう。


 古代太平洋における航海者たちの持っていた航海術については、何人かの人が研究をしたり、仮説を述べたりしている。しかし、今日でもそうした古来の航海術を伝承し、実際にそれを使って海を渡りながら生活しているのは、ミクロネシアの中央カロリンに住む人々くらいだ。


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 かつて、サタワル島に滞在してフィールド・ワークを行ったことのある民族学者の秋道智彌氏は、彼らが夜空に浮かぶ星の位置をもとにして作り上げた方位盤であるスター・コンパスについて、「それ自体が多義的な性格を持ち、航海術にかかわる様々な知識がその中に体系化されていると共に、島民の自然観や世界観にかかわる複合的な要素が内在している」と述べている。


 これは、彼らのスター・コンパスと、近代航海術で使用されるマグネット・コンパスやジャイロ・コンパスの間には、その根本となる自然観・宇宙観の相違があるという指摘だ。


 技術の背景には文化があり、文化の深奥には自然と人間の関係性に基づく「知の体系」があるとすれば、これらの技術は異なる「知の体系」下にあるのかも知れない。


 秋道氏は彼らの航海術についてさらに研究を重ね、「エタック」と呼ばれる一種の推測航法や、特定の生物・自然現象が出現する場所を心の中でイメージすることによって行う「プゥコフ」と称される空間認知法についても紹介している。


 「エタック」とは、カヌーとスター・コンパス上に示されている星とを結ぶ直線の間に、常に架空の島(エタック島)をイメージすることによって、カヌーの位置を認知していく航法であり、マウ・ピアイルックがハワイの人々に招聘され、復元されたポリネシアン・ダブルカヌー「ホクレア号」によるハワイからタヒチまでの航海を指揮した際に、実際に披露してみせたものだ。


 他方、「プゥコフ」とは、島からある方向にどの程度進めば、クジラの群れに遭遇するとか、一羽のグンカンドリに遭遇するとかいった知識を集団内で共有することによって、空間認知の共有化をも可能にしていくものである。


 もっとも、実際にその方位に向かってカヌーを進めてみても常にそれらの生物が存在している筈はなく、そういう点から考えるとこの「プゥコフ」という知識は不完全なもののように見える。


 だが、ここで重要なのは、それらのイメージを持つことによって、航海者たちが洋上における一種のイメージ・マップを作り上げ、さらにそれを共有できるようになるということだ。


 つまり、「プゥコフ」とはそれ自体が独立して完結した「知」なのではなく、その他の「知」と連係しながら、「知の体系」を作り上げており、その中で記憶に関する部分を強烈なイメージ喚起力によって担っている可能性があるように思われるのだ。


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 こうしたことは、海の民だけではなく、山の民も山中で特定の場所を記憶するのに使うことがある。


 例えば、かつて十津川村の山中で猟師をしていたFさんによると、猟師仲間がある場所を特定する際には「○○さんが『待ち』で熊を撃ち損ねた場所」といったように、実際に起こった事件によって場所にイメージを付与していく方法を取ることが多いという。


 また、大峯山脈の修験道の行場などを巡ってみると、「西の覗き」、「護摩の岩谷」、「胎内潜り」、「賽の河原」、「天の川」、「蟻の戸渡り」などといった、一度耳にしただけで忘れ難く想像力をかきたてられる名を付された場所が数多くあるが、これらもその地名が持つ強烈なイメージ喚起力によって場所の記憶を助けていると言えなくもない。


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 このように、海の民や山の民は場所を記憶する際に、しばしばイメージの力を利用するのだが、それによって「場」は一種の磁力にも似た、存在感を持つようになるのだろう。


 勿論、僕がここで言っている「場所」とはユークリッド幾何学ニュートン物理学に基づく空間概念ではなく、むしろアリストテレス的な「トポス」というものに近い筈だ。


 そこでの「場所」とはごく「自然的」なものであり、「象徴的」かつ「身体的」なものであるが、そうした「場所」の概念を使いながら空間認知を行い、実際に大海を渡り、山野を駆けめぐるという技術のあり様に対して、僕たちはもっと敏感であってもよいだろう。


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 上記のようなイメージの共有化による場所の記憶や、それを使った空間認知といったことは、「共通感覚」のあり様と深く関係した問題であるように思われる。


 哲学者の中村雄二郎氏が書いた『共通感覚論』の中には「記憶・時間・場所」という章があるのだが、その中で氏は紀元前一世紀初めにローマで編まれた『へレンニウス修辞書』を取り上げている。この書は当時既に失われてしまっていた古代ギリシアの記憶術について記述した書であるそうだが、残念ながら僕は同書を読んだことがないので、中村氏の引用をそのまま孫引きしてみたい。


 「もし多くの題材を覚えたいと思えば、多くの場所を自分でしつらえる必要がある。場所を系列に形づくり、それらを順序だって覚えなければならない。そうすれば系列中のどの場所からでも出発できるし、そこから前へも後ろへも赴くことができる。一番重要なのは、このようなものとしての場所の形成である」。


 「この場合に、同じ一組の場所は異なった題材の記憶に何度でも使えるからである。一組の物事を覚えるために、それらの場所に配置したイメージの方は、その後使わなければ薄れて消える。が、場所そのものは、記憶のうちにとどまり、別の一組の題材の為の別の一組のイメージを配置して、繰り返し使うことができる。場所はロウ板に似て、上に書かれたことが消えても残り、繰り返しその上に書くことができるのである」。


 さらに中村氏は、アリストテレスが『霊魂論』中で説いた認識理論をも紹介している。


 「五感によってもたらされた知覚は、はじめに想像力によって働きかけられる。そして知的能力の題材となるのは、ハッキリと形をなしたイメージである。この場合、想像力は知覚と思考の仲立ちをする」。


 「思考は心像のうちで形相を考えるのである。もし知覚の働きかけがなければ、誰もなんにも永遠に学ぶことも理解することもできない。たとえ思弁的に考える場合でも、考える手がかりとなる心像が、何ほどかはなければならない」。


 かくて、中村氏は次のように語る。


 「アリストテレス〜スコラの中枢的部分の考え方のうちに、人為的記憶や記憶術の問題がこんなにも深く入り込んでいる。それは想起を含めた記憶が近代以降特にその意味と価値とを奪われてきているだけに、考えさせられるところが少なくない。特に記憶が終始、時間だけではなく、場所及びイメージと密接な結びつきを持った、人間精神の本質的な働きとして捉えられていることは注目に値する」。


 「人為的記憶や記憶術の問題は<共通感覚>の問題と大きく重なり、ほとんど表裏一体を成しているとも言えるのである」。


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 亡くなった哲学者の坂本賢三氏は、科学思想史や技術史の観点から航海術に対して強い関心を示された方だったが、坂本氏が翻訳したH・C・フライエスレーベン氏の『航海術の歴史』の訳者あとがき中に、次のような文章がある。


 「航海術はプラトンアリストテレスをはじめとして、古来技術の典型として扱われてきたし、近代ではカント、現代ではウィーナーに見られるように、考え方や行動の仕方のモデルにもなってきた。つまり、航海術は比較的早くから測定機器を使用し、自己の技法を総合してきた技術なのである」。


 恐らく、坂本氏の指摘はそのまま古代太平洋における航海術に対しても敷衍できるものだろう。つまり、彼らの航海術には、彼らの自然観・宇宙観が反映されており、また剥き出しの大自然の中でいかに生き抜くかという技術や知恵も結集されていたと同時に、それは彼らの社会関係からも強い影響を受けていた筈なのである。


 すなわち、彼らの航海術の中には、彼らの「知の体系」が集約されていたのであり、そうした中からスター・コンパスや身体感覚を用いた空間認知の技法も生まれてきたと考えることが出来るのではなかろうか。


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 僕はかつて仲間たちと共に、ミクロネシアのヤップ島の森の中でタマナの巨木を切り倒した後、2年近い月日をかけてシングルアウトリガー・カヌーを建造し、そのカヌーに乗って南西約500キロのところに浮かぶパラオ諸島まで赴き、そこにあるライムストーン(結晶石灰岩)から石貨を切り出してヤップ島まで持ち帰るという、石貨交易航海の再現プロジェクトを行ったことがある。


 その際に僕たちのカヌー「ムソウマル」の船長を務めてくれたのが、中央カロリン・サタワル島出身の航海者マウ・ピアイルックであった。マウの航海術は多分に身体知に基づくものであり、彼と一緒にカヌーに乗っていても、その奥義を読み取ることは容易ではなかった。だが、彼の偉いところは、そうした航海技術の全てをあたかもマジックのようにぼやかしてしまうのではなく、言語化できる部分はきちんと言語化して解説する能力を持っていることであろう。


 しかし、それを超えた部分については、どうしても身体でつかみ取るしかないわけで、ハワイ人のナイノア・トンプソンさんをはじめとする多くのネィティブ・アイランダーたちが、彼から航海術を教わることによって、自らの文化的ルーツを辿ろうとしている昨今の状況は、僕たちに感慨を起こさせる。


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 しかし、人が自然を読み取り、それにあるイメージを付与することによって、特定の「場所」として定め、それによって記憶や想起が可能になるということは、思弁的に考えるだけではピンとこないことかも知れないだろう。だから、僕はこれからも海を渡り、山を歩きながら、こうした思索を続けていきたいと思うのだ。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)

 

【ヤップ島で建造したカヌー「ムソウマル」で海を渡る】


※「信天翁ノート」はこのあともまだ続くのですが、結局未完で終わっていますので、とりあえずご紹介はここまでとさせていただきます。


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