共同討議「アジア太平洋の海と島(4)」

 1999年の5月に新西宮ヨットハーバーで、『アジア太平洋の海と島』と題するシンポジウムが開催されました(主催:アルバトロス・クラブ)。今回は、その中で行われたパネル・ディスカッション(パネラー:森拓也、長嶋俊介大森洋子、川口祐二さん。司会:拓海広志)の内容を紹介させていただきます。


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大森洋子

 今、お話しがあったように、この『石の環』という小説には海のことが全く出てこないのです。それまで私はずっと海が好きで、海のことばかりをやっていたのですが、その私が何故この本を訳すようになったのかを最初にお話しようと思います。

 拓海さんが日本丸での航海が自分の人生の原点になっていると言われましたが、私も全く同じでして、今から10数年前、39歳の時なのですが、帆船が大好きで帆船の小説ばかりを訳していた私に日本丸に乗るチャンスが訪れたのです。

 日本丸海王丸というのは国家の船なので、乗りたいから乗せるというわけにはいきませんし、とりわけかつては女性が乗ることなどありえませんでした。ところが、商船大学が女子にも門戸を開放しまして、女子学生が帆船に乗れるようになったのですね。そして、第1期の女子学生たちの卒業航海に際して、取材を理由に私も日本丸に乗せてもらうことになったのです。

 その航海は横浜から出帆して、ハワイに立ち寄った後、バンクーバーへ向かい、そこからまた東京へ戻ってくるという、約3ヶ月半のものでした。ハワイへ着くまで、またハワイからバンクーバーへ至るまでの間、全く島はありません。毎日毎日、自分の周りは360度水平線、丸い水平線なんですね。自分が船室にいて、あるいはデッキへ上がって外を見ても、何にもないのです。家は勿論ないし、木もない、山もない、島もない。

 そういうところで自分が今どっちへ進んでいるのかを考えるのに、まず時計を見て、それから太陽を見るようになりました。そうすると今14時で、太陽がこっち側にあるから、じゃあこっちだなって考えるようになってきたのです。

 毎日そうやって太陽を見て、それから夜には月や星を見て、自分がどこへ向っているのかを確かめる習慣がついてきますと、ふと天体が東から上って西に沈むといったことが不思議に思えてきたのですね。何故、天体は規則的に動くのだろう。きっとこの天体を司っている非常に大きな力があって、その力によって天体は動いているんだろうって思うようになったのです。そして、ある人はそれを「神」と呼んだり、「宇宙の摂理」と呼ぶのだろうと思うようになったのですね。

 また、毎日360度水平線を見て移動して行きますと、地球というのが丸い水の球であって、それが宇宙の中にぽっかり浮かんでいるのだという感覚が自然と身についてきます。私たちは平らなところにいるのではなくて、上も下も右も左も分からないところにいるのだと感じるようになってくるのですね。特にマストの上に昇っていきますと、海面から約50メートルの高さになるのですが、そうすると自分の周りにはもう何もないのですね。そして、大袈裟かも知れませんが、自分が地球の表面から宇宙へ飛び出しているような感覚にとらわれてくるのです。

 私は風の力だけで太平洋を渡るという日本丸での航海を通じて、原始的な自然の力を非常に感じるようになりまして、それでこの宇宙というものはどういう風にして成り立っているのだろうかとか、地球はどうしてできたのだろうかとか、人類はどこでどのように生まれ、どうやって進化してきたのだろうかというようなことを考えるようになったのですね。

 それで、そういう関係の本を色々と読んでいたのですが、そんな折に私の海洋小説の担当をしている編集者にそういう話をしたところ、「じゃあ『石の環』という本を訳してみませんか?」と言われたのです。では、『石の環』という小説のことを少し紹介させていただきます。

 地球が誕生したのが46億年前、それから生命が誕生したのが35億年前のことだと言われていますが、私たち人類の祖先が出現したのが300万年前だそうです。最初の人類が誕生したのは東アフリカの大地溝帯ですが、これは300万年前にアフリカが左右に引っ張られて出来た溝だそうです。その溝に西からの風が吹いてくると雨が降るのですが、雨は全部溝の中に落ちてしまい、西側は森林地帯に、また東側は乾燥してサバンナか草原になってしまったのだそうです。

 森林では猿が手で木を伝って飛んでいたのが、サバンナや草原ではそれが出来ないわけですから、猿が直立して二本足で歩くようになったそうです。この大地溝帯の中にオルドワイという渓谷があるのですが、その渓谷から人類最古の骨が発見されており、それで東アフリカのその辺りが人類誕生の地であろうと仮定されているのですが、そこで直径10〜25センチくらいの石を丸くサークル状に並べた跡が見つかったそうです。それをジョアン・D・ランバートという人が知って、一体そのサークルは何の為のものだったのだろうかということを考え、その答えを小説の形で書いたのですね。それが『石の環』です。

 ランバートは人類学者でもあり、考古学者でもあり、また女性史の研究者でもあるのです。ですから彼女の推測は単なる空想の産物ではなくて、様々な調査・研究、フィールドワークによって実証されたものに基づいています。

 原始時代には一つの部族に非常に強い人、とりわけ神と交感できるような非常に強い人がいて、その人が部族を率いて移動して行くということが必要でしたが、ランバートはその人のことをジーナと名付けます。『石の環』は幾つかの異なる時代のジーナをめぐる物語でもあるのですが、第一部は150万〜100万年前の東アフリカの大地溝帯を舞台にしており、そこで彼らが猿人から原人になっていく過程が描かれています。

 彼らの移動は食物と水を得るためのものであり、また自然の脅威や猛獣の攻撃から身を守るための隠れ家を見つけるためのものでした。当時は6年も雨が降らない日が続いたかと思うと、一度雨が降り始めるとそこら中が水浸しになって全ての生命が息絶えるほど降り続けるといった気象状態だったのですが、そういう厳しい自然環境の中でジーナは部族の人々を率い、乾期には川のある谷へ行き、その谷の干上がっている川の底を掘って、そこから滲み出てくる水を飲んだり、僅かに残っていた貝殻を食べたり、ほんの少し残っている木の実を食べたりしながら、食いつないでいったわけです。

 そして今度は乾季から雨季になっていくと食物も全部水浸しになってしまいますから、それを感知して先に逃げ出さないといけないわけです。そうすると今度は雨が降っても安全な台地の方へ移動して行くわけですね。雨が降ってくるとその台地の湖には水が満々と湛えられ、木の実や草、苔、魚なども食べられる。それがずっと雨季の間続き、そして今度はまた乾季がやってくる。そうするとまたすっかり干上がるまでの間に湿地帯へ移動するわけです。当時の人々はこのように季節毎に移動しながら生活を営んでいたのです。

 それが第二部に入っていきますと、50万〜20万年前が舞台となります。ここでは原人がネアンデールタール人に代表される旧人へと進化していくのですね。この時期になってきますと一つの部族が非常に人数が多くなってきて、季節毎に同じ場所をまわっているだけでは食べられなくなってきます。それで彼らは少しづつ分散して、東西南北のあらゆる方向へ拡がって行った。ジーナたちは最後には肥沃な三日月地帯と呼ばれている紅海のほとりまで到達します。

 続く第三部は5万年前から3万年前までの、旧人から新人へと進化していく時代を扱っています。フランスとスペインの間のピレネー山脈にその時代の洞窟遺跡がたくさんあり、そこにはバッファローの絵などが描かれていますが、そこが舞台となっています。その時代になってきますと、北方から石の刃を持った暴力的な部族が押し寄せてきて、人間は自然とか動物の脅威だけではなくて、他の人間の驚異から逃れるためにも移動するようになります。そういう風にして、人々はアジアや北アメリカ、南アメリカへと拡散していくわけです。

 この人類の移動の過程、あるいは進化の過程については色々なことが書いてあるのですが、一つ例をあげますと、鳥の卵がありますね。猿人から原人になっていく過程では、鳥の卵を見つけた人はそれを食べるのに殻ごと食べちゃうんですね。それが段々と殻のかけらですくって食べるようになり、次には卵に穴を開けて中身を吸うようになる。

 また、移動する際に水を運ぶのに卵の殻を利用するようになる。こういう私たちにとっては何でもないような知識が一つ一つ発見・獲得されていく過程がずっと描かれているのですね。

 自然を感じ取る本能と、経験に基づく知識は、人類の移動と進化に不可欠なものでした。例えば、ジーナたちが大地溝帯から紅海へ向かって行く時には、毎日太陽が右手から左手へ沈んでいき、夜になると一つだけ不動の星があります。太陽の動きを確認しながら不動の星を目指して行けば道に迷わないというような話が『石の環』にも登場してきます。そうすると、大地を歩いて移動した人たちも、星や太陽を見ながら海を渡った人たちも、実は同じことになってきますね。

 ここで少しスライドを映します。最初の人類が誕生した頃の地球はもの凄い地殻変動の時代で、例えば火山が噴火すると、溶岩が流れ出て、見渡す限り真っ黒な土地になってしまうというようなことが頻繁に起こっていました。これは私がアイスランドに行った時に撮った写真なのですが、これは全てその頃の溶岩です。ごつごつしたレーバーっていいますか、溶岩が一面の大地を埋め尽くしています。

 次のスライドは北緯82度のスピッツベルゲン島にある氷河です。この氷河は30メートルも積もった雪が3センチまで凝縮し、それが幾重にも積み重なって出来たものですので、写真ではよく分からないのですが、層になってるんですね。この層の中に人類の生きてきた各時代の気象上の様々なデータが刻みこまれているそうで、それを掘削することによって当時の自然環境を調べ、人類の足跡をたどろうという試みも行われつつあるようです。

 次もフィヨルドの中の氷河です。スピッツベルゲン島で氷河を眺めていますと、地球は氷に閉ざされたり、大洪水で洗われたり、また自分の体を割ったり、火山で焼いたりしながら、長い時間をかけて今のような美しい星になっていったということを感じてしまうのですが、こうした光景が『石の環』には全部出てくるのですね。

 また、先ほどご紹介した卵の話のようなこともこの本の中にはたくさん書かれており、それを読んでいると、私たちの身体というものは、祖先たちが少しずつ進化しながら出来てきたものであるし、脳には祖先たちが体験の中で学んだことが伝えられているのではないかと思えてきます。だから、拓海さんが基調講演で話されたような感情や考えにしても、300万年前の祖先から脈々と伝わってきているものが沢山ある。それがあるからこそ、今の私たちの身体や脳も、感情や意識もあるのだということを、この本を訳しながら強く感じました。

 こうした考え方を受け入れると、地球を大切にしなければならない、自然を大切にしなければならない、人を大切にしなければならない、また自分自身を大切にしなければならないということが、同次元で思えるようになってきます。そういうメッセージをとても受けた本でした。


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