共同討議「アジア太平洋の海と島(3)」
1999年の5月に新西宮ヨットハーバーで、『アジア太平洋の海と島』と題するシンポジウムが開催されました(主催:アルバトロス・クラブ)。今回は、その中で行われたパネル・ディスカッション(パネラー:森拓也、長嶋俊介、大森洋子、川口祐二さん。司会:拓海広志)の内容を紹介させていただきます。
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※長嶋俊介;
ご紹介頂きました長嶋です。私は島生まれの島育ちということもありまして、ライフワークとして島歩きをしているわけですが、いつの間にか89ヶ国の1960の島に行きました。実はここ西宮浜も一つの島なのですが、阪神淡路大震災の時についそこの橋まで来たのですが、入り口が通行止めで入れなかったのですね。今日はようやく願いが叶いまして、私の訪ねた島の数がまた一つ増えました(笑)。
先ほどカヌーの話がありましたので、その話の続きからいきます。ミクロネシアの島々でなぜ航海の技術とか、造船の技術が継続されなかったかというと、その最大の原因を作ったのは実は日本なんですね。
日本は南洋委任統治時代に、統治の都合から、地域内での航海はいいけれども、地域を超える航海については禁止したのです。それは公の船でしかやってはいけないと決めたのですね。そのことは非常に大きかったです。
それから、日本人が太平洋戦争中にミクロネシアでやったことの中で忘れてはならないこととして、ヤップ島のストーンマネーを壊して道の舗装に使ったということがあります。ストーンマネーというのは彼らにとっては重要な生きた財産です。それは宝であり、また生きている神様なのですね。それを平気で壊すというのは、その精神性に問題があると思います。
それから酋長あるいは地域社会における特定者に結びつくとうまくいかないという件ですが、かつて神戸太平洋学長フォーラムという催しがあり、その会議において「学術交流」という言葉を「EXCHANGE」と訳しました。
「EXCHANGE」というのは、等価交換である。等価交換という名の下に、実は価値のないガラス球と材木や食べ物を交歓したり、挙げ句の果てに土地まで取り上げるという収奪の歴史を生んでしまった。それで、交換というのは実は暴力だという話をしました。
ミクロネシア社会の基本的な仕組みは共有、つまり「SHARE WITH」、「COMMONS」、「RECIPLOSITY」ですね。これはお互いの助け合いみたいなものですが、厳密に言えば交換ではなくて、より多く持てるものがその役割を果たすという形での循環の上に成り立っています。
また、財をいったん中央に集約し、それを再配分していくという「REDISTRIBUTION」。つまり、酋長が仕切るというようなやり方ですが、これも重要です。
そういう社会の仕組みに従うと、地域の有力者たるものは地域の人々に対して責任を果たしていかねばなりませんね。ですから特定者が様々な形で役割を担っているわけです。そうした特定者は生活単位としての地域ごとにいます。
ですから、特定の人あるいは地域と結びつくということはそのファミリーになってしまうわけで、知らないうちに他の地域とは距離が開いてしまうわけです。そこでの使い分けというのはなかなか旅人にはわかりませんので、そこで失敗するケースが出てくるのじゃないでしょうか。
逆にそういう仕組みをうまく利用すると統治がうまくいくわけで、その例としてトラック諸島の相沢酋長をあげてみましょう。相沢さんは酋長連合の大酋長みたいな役割を果たした方ですが、元は松竹ロビンスのピッチャーでして、握手をすると手がグローブのように厚い人です。
相沢酋長はトラック諸島がコレラで悩まされていた時に、海上トイレを壊すということを実行したのですが、それを各酋長に任せているとどうしても自分の島の人たちには甘くなってしまい、うまくいかない。そこで、各酋長に別の島を監督させてみたのですね。その結果、島々の海上トイレはアッと言う間に焼却され、コレラの発生もなくなったのです。このように、地域社会における統治の構造とか物の流れを考える際にも、我々は人間の関係性のシステムをしっかり見ておく必要があります。
アジア・太平洋の海と言いますが、太平洋の島々に住んでいるのはモンゴロイドですから、太平洋はアジアの海なのですね。私はこれまでにモンゴロイドが大移動したところは全て訪れています。タスマニア、メラネシア、イースター島へも行きましたし、かつてマオリ人が入ってくる前にモリオリが住んでいたというチャタム諸島へも行きました。
それから南米のペゴ島、インド洋のマダガスカル島、北のグリーンランド。これらは全てモンゴロイドの住処です。こうして見ると、地球の海の3分の2は、実はアジアの海だったのですね。ですから、アジア・太平洋の海と言っても、アジアの範囲を拡大解釈すると、地球の3分の2を語れるくらいの拡がりがあるということを、私たちは知っておく必要があると思うのです。
また、日本人の行動範囲も結構広いですね。かつて五島列島には隠れキリシタンがいたわけですが、彼らの間で追っ手が迫ったらどこに逃げようかというような話が交わされたという記録が残っているのですが、その中に鬱陵島まで逃げる計画があったことが記されています。今の地理感覚だと随分遠いところまで行くように思うのですが、当時の彼らにとってはそれほどの距離ではなかったのでしょう。その頃の日本人には海を渡って移動するという感覚があったのですね。
次に瀬戸内における人の移動についてお話ししますと、私の専門分野に入ってくるのですが、瀬戸内には1960年代まで困窮島というものがありました。生活が苦しくなって困った人が無人島に行って生活を始める。それが困窮島なのですが、そこで5年とか10年生活をして財を成すことが出来ると元の場所に戻るという仕組みになっており、そういう仕組みによって瀬戸内には人が住む島がどんどん増えていったということを宮本常一さんが書いています。
これは、人がどういうふうにして島に住み始め、またそこで定着していったのかを考える上で示唆を与えてくれます。それから、困窮島をアジア型の生活保障システムの一つとして考えるのも面白いと思います。つまり、困っている人に恵みを与えるのではなくて、困っている人に機会を与えるわけですね。
最後にパラオのパラオワンマネーについてお話ししますが、パラオワンマネーというのはセラミックやガラスで作った首輪です。それは晴れの日、お祝いの日に女性の首に掛けられるものなのですが、パラオワンマネーは男性が女性に贈ることになっており、それによって男性の甲斐性が評価されるわけです。
パラオの人達がミクロネシアのユダヤ人と言われるくらいに勤勉であるのは、男性が女性にパラオワンマネーを贈ることができるくらいの財産を持っていなければならないという、社会の仕組みによるものなんですね。ちなみに、パラオワンマネーは一個で2〜3千ドルほどもします。
渡海、すなわち海を渡ることとか、島の暮らし、社会の仕組みについて考えていくと、面白い話が沢山ありますが、また他の講師の方のお話しをうかがった上で、付け加えさせていただきたいと思います。
※拓海広志;
パラオワンマネーの原料はパラオの外から運ばれてくるそうですが、原産地はニューギニアあたりでしょうか?
※長嶋俊介;
それが、あまりはっきりしていないのですね。いずれにせよ、ヤップの石貨と同じで、稀少性があるから価値が出るんですね。
※拓海広志;
そうですか。長嶋さんでした。どうもありがとうございました。
続きまして、大森洋子さんをご紹介します。大森さんは英米の海洋文学の翻訳家なのですが、同時に日本丸の練習航海に参加されるなど実践的な活動も随分やられており、そうしたご経験を基に海洋ライターとしても活躍されております。
最近、大森さんはジョアン・D・ランバート女史の『石の環』(徳間書店)という本を訳されたのですが、これは原始時代の人間が生きるための移動を繰り返す生活の中で、どのようにして意識とか感情、特に性の意識、また恋愛感情といったものを持つようになったのかを描いた大河小説です。
海の話ではないのですが、私たちが今日のテーマとしていることと非常に深く関わっているということで、あえて『石の環』のことを中心にお話しくださいと、大森さんにはお願いしております。では、大森さん、よろしくお願いします。
(無断での転載・引用はご遠慮ください)
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