共同討議「アジア太平洋の海と島(2)」
1999年の5月に新西宮ヨットハーバーで、『アジア太平洋の海と島』と題するシンポジウムが開催されました(主催:アルバトロス・クラブ)。今回は、その中で行われたパネル・ディスカッション(パネラー:森拓也、長嶋俊介、大森洋子、川口祐二さん。司会:拓海広志)の内容を紹介させていただきます。
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※森拓也;
さて、いよいよここからがミクロネシアなのですが、先ほど拓海さんの方からヤップで実際にカヌーを作って航海をした話がありましたが、それと同じ型のカヌーです。といっても、これはもっと小さいものですが、基本的な型は同じです。ミクロネシアのカヌーには、ヤップとかトラック、ポナペなど、それぞれの島に固有の基本型がありまして、一目見るとわかります。また、ヤップ島とその離島であるウルシーとかウォレアイでは基本型は同じものの、やはり少しずつ違いがあります。私も最初はその違いが全く分かりませんでしたが、あれはどこのだというふうに島の人たちに教わり、少しずつ分かるようになりました。
これはウォレアイでカヌーを作っている現場を撮ってきたものです。フィリピンのカヌーと形はよく似ていますが、違います。と言いますのは、フィリピンのものは骨組みがあって、その上から外板を貼っていくのですが、ミクロネシアのものは板をそのままつなぎ合わせていき、釘その他は一切使われておりません。そして隙間には椰子の繊維をほぐしたものを詰めて、それがふやけて膨らんでくることによって、隙間を塞ぐという方法がとられています。現在のミクロネシアでは、船大工の数が非常に減っておりまして、ヤップ本島にもほとんど残っておりません。ただ、まだ離島にはいらっしゃいますので、私は造船技術そのものが廃れたわけではないと思っています。
次はパラオの舟です。いわゆる人運搬用のオモアドルという舟なんですが、ヤップのものと比べていただきますと、隣同志なのに明らかに恰好が違うというのがお分かりいただけると思います。
次はパラオの戦闘用カヌーの模型です。大きなものだと、50人もの漕ぎ手が乗って戦闘したといいます。1981年にパラオが独立した時に二隻の戦闘用カヌーが復元されまして、デモンストレーションをやったことがあります。ところが一隻は保存状態が悪くて駄目になり、もう一隻は燃えてしまいました。ですから、現存する戦闘用カヌーはないのですが、何とかしてこのカヌーを作る技術は残してもらいたいものです。
次はポリネシアへ移ります。ポリネシアはですね、例えばこれはタヒチなのですが、島嶼国家ではあるものの、島と島の間が離れ過ぎています。こうなりますと、元々はカヌーが原形なのですが、近代的なボートとカヌーが合わさったような感じですね。こういう舟が現在主流として使われています。
次はニューカレドニアのピローグというカヌーです。これには大きなアウトリガーが付いていますが、船体そのものはあまり大きくなく、船体に乗るというよりも、むしろ間に渡した板の上に乗るというのがピローグの特徴です。皆さんがニューカレドニアに行かれたら、イル・デ・パンというところで2千フランくらいで観光用のピローグに乗ることが出来ます。
今、スライドをざっと見ていただきましたが、色々な起源を持ったカヌーがあって、それぞれ用途にあわせて発達してきたことがおわかりいただけたかと思います。ヤップのカヌーの場合は石貨を運ぶという大きな目的がありましたが、その他にも例えばパラオ離島のトビー島(昔はトコベイと呼ばれていた)。ここではトコベイ人形という、イースター島のモアイにちょっと似た感じの独特の人形を作っているのですが、そういった離島の方たちがパラオへ来る時に使ったカヌーはまた独特の発達を遂げております。
パラオの話で大変面白いのは、パラオとその離島の間では何年かに一度酋長会議というのがあって、離島の酋長が全員集まって会議を行うのですが、その際にやはり今はもうカヌーでやって来ることはありません。定期的に島を回ってコプラを買い上げると共に、必要な物資を運んでくる政府の船がありますので、それに乗ってくるわけですが、昔の酋長はカヌーを使って集まって来たのですね。ところが、パラオの離島間では普段から交流がそんなにないので、言葉があまり通じません。それで、太平洋戦争の前後は日本語を使って話し合い、最近は英語を使っているということです。
私はパラオが非常に好きなのですが、現在パラオで進んでいる近代化というのは必ずしも良いものではありません。先ほど、観光立国という話が出ましたが、カラオケスナックやフィリピンパブが出来ることが近代化、観光立国であるとは思えません。それで、私も以前は1年に二〜三回はパラオへ足を運んでいたのですが、最近は1年に一回しか行かなくなりました。それは決してパラオが嫌いになったというわけではないのですが...。
ところで、私とパラオの関係がずっと続いている理由の一つは、特定の人と結びつかなかったことだと思います。特定の人と、特に利害関係で結びついてしまうと、必ずトラブルのもとになりますが、特にミクロネシアの島には自称実力者の方が大勢います。そういう「俺に任せときゃあ、絶対大丈夫だ」という人に任せると全然大丈夫じゃないっていうケースが沢山あるのですね。ですから、私は何かやる時には基本的には政府とやります。政府は人が替わっても、機関そのものは変りませんから。誰とでも仲良くはするけれど、特定の人との関係においては深入りはしない。これで20数年間仲良くやってまいりました。
ちょっとテーマとうまく結びつかなかったかもしれませんが、私の話をこの辺で終わらせていただきます。
※拓海広志;
森さん、ありがとうございました。最後の方のお話は、かつて私たちがヤップで石貨プロジェクトをやった時にも気をつけていた点ですので、大変共感できました。
それから、パラオの離島という話で思い出したのですが、私がインドネシアのスラウェシとフィリピンのミンダナオ島の間に浮かぶサンギール島を訪ねた際に、そこの漁師たちは一人乗りの小さなカヌーでトービあたりまで出かけることもあるといった話を聞いたことがあります。
それを聞いて、やはりあのあたりの海域が東南アジアとミクロネシアを結ぶ海の道になるのかなといったことを私は感じたのですが、あのあたりのカヌーの構造や航法を細かく比較・分析することによって、互いの結びつきを調べるのも面白そうですね。
今日のお話の参考文献としまして、森さんがお書きになった『舟と船の物語』(舵社)という本があるのですが、写真もふんだんに使われていてわかりやすい本ですので、皆さん是非ご購入ください。
それでは続きまして、長嶋俊介さんをご紹介いたします。長嶋さんは奈良女子大学で生活環境学部の教授をされているのですが、昨年は日本島嶼学会の立ち上げにも奔走されました。
長嶋さんは佐渡のご出身だけに島での生活についてはよくご存じなのですが、ご著書の『水半球の小さな大地』(同文館)の中で、「島は家政学の研究を進めるにあたって格好の舞台である」とお書きになっていたように記憶しております。
7年ほど前に私は『渡海 -- 海を渡った人々』というテーマのシンポジウムを催したことがあるのですが、その際にも長嶋さんには「島の生活とこころ」というタイトルの講演をしていただいたことがあります。今日もまた、島に関する様々なお話しをしていただこうと思いますので、よろしくお願いします。
(無断での転載・引用はご遠慮ください)
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