拓海広志「舞子を想う」
故郷の海の話をするのはいつもほろ苦い気分がするものだ。それはそこにはあまりにもたくさんの思い出と、過剰なほどの思い入れが入り混じっているからである。
僕が生まれ育った舞子の町は、明石海峡を望む丘の上に位置しており、子供の頃の僕たちの遊び場と言えばその海や、町中に散在していた野原や池、沼の類だった。
川と見違えるほど強い潮の流れる海峡は決して安全な遊び場ではなかったが、僕たちは板切れやビート板を抱いて沖に出て、わざと潮に流されていく「河童の潮流れ」という遊びをよくやった。そこで身体が潮に引かれてぐんぐん流されていく感じが何とも言えないのである。
そう言えば、川で泳ぐときはなんだか川の流れに押し出されるような感じがするのだが、海の潮には引かれる気がするのは何故なのだろう。
サマセット・モームの短編小説群の中に『困ったときの友人』という作品があるのをご存知だろうか。これは舞子から少し東へ行ったところにある塩屋を舞台にしたものなのだが、明治時代に神戸で活躍した欧米の商人たちにまつわる話だ。
酒とギャンブルで身を持ち崩してしまった男がビジネスをやり直したいからと、塩屋の山手に住む友人に金の無心にやってくる。友人は沖に浮かぶ平磯灯標を指差し、「あそこまで泳いで行き、戻ってこれたら金を貸そう」と約束する。男は灯標までの距離がさほどではないことに安心して泳ぎ出すのだが、結局海峡の強潮によってどんどん沖に流されていき、そのまま溺れ死んでしまうというのが粗筋だ。
こういう物語が書かれるくらいだから、当時神戸に住んでいた商人や神戸港に入港する船の船員たちを介して、この海峡の潮のことは英国でも結構知られていたのだろう。
舞子から塩屋は神戸市の西部にあたるのだが、須磨の鉢伏山から西側に位置するこの地域はかつて独特の雰囲気を持っていた。
そもそも当時は神戸という町自体が日本の中にありながら日本ではないような一種独特の雰囲気を持っていたのだが、もちろんそれはこの歴史の浅い町が外国人たちの手によって開かれたことと無縁ではない。だから、一種の周縁性や、それ故に外に向けて拡がっていく開放性を持ち合わせていたのが神戸なのである。
そして、その神戸の中でもさらに周縁的だったのが舞子から塩屋にかけての空間だったように思うのだが、その雰囲気が残っていたのはせいぜい昭和40年代くらいまでのことだろうか。その後はこの界隈も随分変わってしまった。
舞子から沖を眺めると、その先には淡路島が横たわっている。古代の淡路は海人族の拠点だったのだが、彼らは当時から海峡の早瀬を抜けて明石・舞子との間を行き来していたようで、舞子の隣町・垂水には彼らが奉った海神社(わだつみ神社)が鎮座している。
また、舞子の海岸近くにそびえる五色塚古墳の名前は、その敷石を西淡路の五色浜から運んだことに由来するのだが、それで当時この地方にいた海人族の輸送能力を推し量ることもできるだろう。
ちなみに、応神天皇の頃には海人たちは枯野と呼ばれる船に乗り朝夕淡路島から都まで清水を運んだとも言われているが、そのことが当時の皇室と海人族、そして淡路島との関係の深さを物語っているようだ。
毎年10月10日に行われる海神社の船渡御神事を見ながら僕は往時を偲ぶのだが、先に出てきた塩屋という地名もまた彼らがその浜で行っていた製塩にちなむものである。もっとも、今の塩屋浜にはその面影は何も残っていないが。
僕が子供の頃、舞子の浜には高波が起こったときなどに、それを吸収するために作ったトンネル状の横穴が幾つかあった。僕たちはそこに秘密基地を作って遊んでいたのだが、そこは同時に浮浪者たちの棲家でもあった。
浜のトンネルに棲む浮浪者たちは毎日町で屑を拾ってくる以外に、磯で釣りをしたり、浜に打ち上げられたワカメやアオサを拾ったり、あるいは岩にへばりついた牡蠣を採ったりして暮らしていた。
それは僕たちの遊びと何ら変わらず、僕はそんなふうにすれば大人になってからも遊びながら生きていくことができるんだなぁと思いながら、彼らの暮らしぶりを眺めていた。
そして、時には彼らと一緒になって遊び、僕は特に親しかった男にスナフキンというあだ名を付けたりしたのだが、彼は時折釣ってきた魚を浜で焼いて僕たちに振る舞ってくれたりもした。
そんな浜の情景が急変するのは、垂水漁港を中心に東西にわたる大規模な埋立工事が進められ、かつ舞子と淡路島の岩屋の間を結ぶ明石海峡大橋の建設工事が本格始動してからのことである。
これによって明石から塩屋に至る海岸線は大きく海側に移動し、そこには人工の砂浜も造成されたのだが、工事に問題があったため蟻地獄状の穴が出来てしまい、そこにはまった子供が亡くなるという悲惨な事故も起こった。
そして、この海岸線の大幅な移動は海峡の潮の流れすら変えてしまったようで、今舞子の浜から少し沖に出るといきなり濁流のような流れに遭遇して驚かされてしまう。僕たちが子供の頃にやった「河童の潮流れ」をやるにはいささか危険過ぎる海になってしまったようだ。
僕たちが子供の頃の舞子から垂水、塩屋にかけては漁業も農業もまだ健在だったし、下町の商店街や市場も残っていれば、サラリーマン家族の住む新興住宅地も造成されつつあった。
さらに朝鮮、中国、インド、ヨーロッパなどから渡ってきて神戸に住み着いた外国人たちも少なからずいたので、当時の子供同志の人間関係はコンパクトな中にもかなり多様なものがあったように思う。
そんな環境の中で僕たちは「人は皆違うものだ」という感覚をごく自然に身体にインプットしていったように思うのだが、それこそが周縁の地で育った者が知らず知らずの内に身に付ける感覚なのだろう。
だが、一寸の空地もないほどに住宅がひしめき合う今の舞子にはもうそんな空気は漂っていない。勿論、浜に棲んでいたスナフキンとその仲間たちはとうの昔にどこかへ消えてしまったようだ。
それから僕は周縁の感覚を自らの身体に埋め込んだまま舞子の町を去り、その後は様々な国、様々な町で暮らしてきたのだが、それでもやはり舞子の海が自分の原風景であり続けることは間違いないだろう。
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拓海広志『海峡物語−N君のこと』
拓海広志『松林』
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