拓海広志「最後の1マイル」

 国家が独占的に行う事業は、競合相手がいないためにサービス水準が低くなり、採算意識が低いために赤字体質となりやすいというのはよく指摘されることですが、これは社会主義共産主義を掲げる国々においてだけではなく、資本主義国家においても既に幾つもの事例があります。勿論、中にはシンガポールのような貴重な例外も存在するのですが、同国の場合は人口僅か300万人の小島が世界と向き合ってサバイバルしていかねばならず、国家としての覚悟の持ち方が他国とは大きく異なることが、その国営企業経営にも及んでいるのでしょう。


 日本では行政改革によって国鉄電電公社が民営化してJR、NTTとなり、いずれもそのサービス水準、経営効率、財務体質が大幅に改善されたのですが、郵政もまた小泉政権下で民営化へ向けて踏み出したことはご存知の通りです。日本郵政公社が最終的にどのような形で民営化できるのかどうかはまだ予断を許しませんが、同社が持っている郵便局、ポストといった拠点網、配送網、そして巨大な資金力は、日本にとって貴重な資源であり、それを最も有効に活用できるような経営をしていただきたいと願っています。


 かつてアメリカで宅配便事業が生み出されたのは、当時のアメリカ郵政のサービスが劣悪で、出した手紙や荷物がいつ届くのかわからないような状況にあったからですが、同国で誕生したDHL、FedExUPSはやがて自社機を大量に保有すると共に世界各地にハブターミナルや集配拠点を拡げ、国際宅配業者へと成長していきました(世界四大インテグレーターの中でアメリカ以外の国(オーストラリア)で生まれたのはTNTのみ)。それに刺激を受けたヤマト運輸が日本で宅配便事業を始めたのも、当時の日本郵政の小包サービスの質が低く、料金が高かったことに商機を見出した小倉昌男氏の卓見があったわけですが、今や同社は日本を代表する優良企業に成長しています。


 しかし、宅配便事業が民の力でこれほど大きく成長してきたにもかかわらず、物流業界には「最後の1マイル」という言葉があって、そこにはまだ官である郵政の底力が残っているという見方があります。それは、郵政による配送ネットワークの地域への浸透度を評するもので、荷物の配送先を特定するにあたり、システム的な面では民間の宅配業者の方が勝っていたとしても、現場で実際に配達先を見つけ出すのは、毎日地域で大量の郵便物を届けている郵政の配達人の方に一日の長があるというわけです。


 僕がこのことを実感したのは小学2年生のときのことです。当時の僕は悪ガキ仲間と共に昼休みになるとよく学校を抜け出して、近所の浜へ遊びに行ったりしていました。そんなある日、担任の女先生がいたずらの度が過ぎると言って僕と仲間3名を叱り、その上にそれぞれの母親宛の手紙を持たせ、「必ず親に渡して、返事をもらってきなさい」と命じたのでした。僕らは憂鬱な思いで学校をあとにしたのですが、しばらく行ったところで配達中の郵便屋さんの自転車が止められているのを見つけると、誰言うともなく自転車に付いていた手紙のぎっしり詰まったカバンの中に先生からもらった手紙を放り込んだのでした。封筒には宛名として我々の母親の名前が、また差出人として先生の名前が書かれていただけで、住所などは一切書かれていなかったので、これでこの手紙は闇へ消えていくだろうと考えたのが我々の浅はかなところです。


 学校から帰宅した悪ガキ4人組は再び家を飛び出して、近所の池で魚釣りをして遊んだのですが、夕方家に戻ってビックリ! 何と郵便屋さんのカバンに入れてきた筈の手紙を手にした母親が僕を待ち構えていたのです。驚いたことに郵便屋さんは我々4人の家を1軒ずつ訪ね、それぞれの母親に封筒を手渡した上で、そこに貼られていなかった切手代を回収していったというのです。これで万事休す。その夜の我々がいかにこっぴどく叱られたかは言うまでもありません。しかし、それよりも僕は個人名だけで配達先を特定した郵便屋さんに対して、強い尊敬の念を抱いてしまったのです。「これがプロの仕事なんだ」と…。


 かくの如く「最後の1マイル」における郵政の力には凄いものがあるのですが、特に日本の場合は明治初期に各地域において影響力を持っていた有徳の士が私財を投げ出して郵便事業立ち上げに協力してきたという歴史もあるため、ただ単に配達能力だけのことではなく、地域の生活における郵政の浸透度には注目すべきものがあります。これは日本郵政にとって大きな財産であり、今後郵政公社が民営化の道を歩んでいく中でも決して失ってはならないものでしょう。


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