拓海広志「働くことの意味?」

 
【老人】
(詞・曲/拓海広志)(1982年)


 夏の日の夕暮れ 騒がしすぎる蝉の声に
 包まれた城跡公園で 佇む老人よ 独り何想う
 置き忘れた若き日の夢を探すことも
 満ち足りぬ人生を悔やむことも
 とうにやめたはずなのに
 窪んだ瞳に浮かぶは何ゆえの惑いか・・・


 人いきれの中で 熱い想いに燃えた日々
 馬車馬のように働いて ふと気がつけば ここに来ていた
 失った過ぎし日の恋を明かすことも
 死んだ妻の墓の前で呟くことも
 せずに生きたはずなのに
 窪んだ瞳に浮かぶは何ゆえの憂いか・・・


 海鳴りの向こうに 父母の姿が浮かび消える
 独りで歩んできた道も 目を凝らせば 導かれていた
 何もかもを喪った日々を恨むことも
 迫り来る終わりに怯えることも
 今はせずにただ独り
 窪んだ瞳に浮かぶは何ゆえの誇りか・・・


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 10歳台の僕は暇さえあればリュックに着替えと寝袋を詰め込んで、日本各地を旅していました。そんな中でたくさんの素敵な出会いがあり、そうした出会いに触発されて僕は詞や曲を作っていたのですが、ここに載せた『老人』という曲もそのうちの一つです。


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 「ふるきゃら応援団(1)」「ふるきゃら応援団(2)」を読んだ方から「拓海さんは人生における仕事の意味をどう考えますか?」とか「昨今の二ート人口の増大についてどう思うか?」といった趣旨の質問をいただきました。


 結論から言うと、僕は「仕事だけが人生」などとは全く思っていませんし、仕事以外にも様々な活動をしてきました。しかし、どんな仕事でもそれを究めれば究めるほど、世界、社会と深くつながってくるので、仕事は中途半端にせず、とことん打ち込む方がよいと思っています。


 また、ニートについては、働きたいという強い意欲を持っているのに適当な職が見つからない人と、そもそも社会にあまり関わりたくないという姿勢を持っている人では事情がまったく異なりますので、それらを一様には論じたくないです。


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 ところで、僕はこのところ20歳台半ばくらいの人たちから「今の会社の仕事はやりがいがないから転職か、あるいはNPOで社会のために汗を流すことを考えてみたい」といった類の相談を受けるケースが増えています。


 彼らの中には、「今働いている自分は本来の自分ではないので、別の場所で違った形で自己表現をしたい」といったことを言う人がいます。こうした気持ちは分からぬでもないですし、個別には僕もそれを肯定してあげたいケースがあるのですが、それを上回る比率で少々疑問に感じるケースも存在します。


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 人類の歴史を振り返ったとき、職業選択の自由や、生き方を選択する自由があった時代は少なく、日本の場合でも国民の大半がそうした自由を得るようになったのはせいぜいここ30年くらいの間のことではないかと思います。


 自由で民主的な近代の社会においても、人が職業を選ぶ際の順番は、まずは自らと家族の生存のためであり、それが実現した上で社会への貢献や自己の啓発を考える余裕が出てくるものです。最初から後者について考える余裕がある現在の日本は恵まれた社会なのでしょう。


 勿論、これは実は素晴らしいことですし、そうした幸福な時代に生まれてきたことを感謝しながら、個々人が少しでも自分に合った仕事、自分に合った職場(会社でもNPOでも学校でも何でもよいし、起業してみてもよい)を選んでいくのはよいことです。


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 しかし、最近の日本では、「何もかもつまらなそうに見えて、やりがいを感じない」とか、「自分が何をすべきかわからない」とか、「本当の自分はここにはいないと思う」などといった不満を口にしながら日々を送る人も少なくありません。


 つまり「永遠のモラトリアム」が許容される社会状況の中で、「青い鳥」や「本当の自分」といった実在しないものを求めて彷徨する人が増えているわけですが、そうこうする間にも社会の状況はどんどん変わっていきます。


 しかし僕は、自分が日々差し当たること、つまり目の前にあることに向かって全力を尽くすということをしない人は、変化も成長もしえないし、社会状況の変化にも対応できないのではないかと思っています。


 「本当の自分」なるものも、実はこうした日々の努力の中で少しずつ形成され、洗練されていくべきものであり、最初からそこに存在するものではないのでしょう。そして、これは僕たちの人生において死ぬまで続いていくことのように思います。


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 勿論、選んだ職場での仕事が本当に面白くないということもあるでしょう。しかし、これは多くの場合、当たり前のことです。どんな仕事でも自分の裁量で自由にやりこなすためには歳月を要しますし、そこに至るまでの間は退屈なこともあるからです。


 とは言え、世の中にはどうしようもないほど退廃した組織もありますし、下劣な上司もいます。また、いくら頑張ってみても水の合わない場所というのもあるでしょう。そうした場合の適切な判断による退職、転職であれば、必ずしもそれを否定的に捉える必要はないでしょう。


 だから、僕は前述した20歳台半ばの人たちからの転職相談を受ける度に、それがどういうケースに該当するものなのかを自分自身で深く考えることを勧めています。自分に甘いのは決してよくないですが、逆に何でも無闇に我慢するのもよくありませんから・・・。


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 なんだか柄にもなく人生相談みたいな感じになってきたので、この辺でやめておく方がよさそうですね(^^;;)。でも、健全な社会を作っていくためにも、皆が働くことの意味について真剣に考えるというのは素晴らしいことだと思います。


 今回僕が言いたかったのは、もともとそれが自分のやりたかったことであろうがなかろうが、成り行きの中でやむをえず選んだ仕事であろうが、仕事というものにはしっかり打ち込む方がよいのではないかということです。


 どのような事情で選んだ仕事であっても、その仕事は必ず社会や他者と密接につながっているものです。働く人はその事実に対して誠実であるべきですし、そうした関係性に対して最大限の敬意を払う必要があるでしょう。


 僕が考える働くことの本質とは、まずはそれによって自己と家族を経済的に維持すること、次に社会に貢献することと自己を研鑚すること、そして仲間との共働を楽しむことです。それらのバランスが取れた状態が健全だと、僕は思っています。


 そして、仕事に打ち込めないという悩みを抱えつつ、その代償行為の場を求めてあちらこちらに「いっちょ噛み」(一枚噛み)する前に、まずは目の前の仕事にとことんぶつかっていくと、問題は少しずつ解決し、世界は徐々に拡がってくると僕は思うのです。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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