拓海広志「ふるきゃら応援団(2)」

 先だっての「ふるきゃら応援団」に対して幾つかのご意見&ご感想をいただきましたが、今回はそれらのご意見・ご感想に対する僕からの回答を編集してお送りしようと思います(注:これらは今から10年ほど前になされたやりとりです)。   


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※Tさんより・・・
 拓海さんが環境活動支援ネットワーク作りのための「クラブ」など、いささか運営に手間のかかるNPO活動をやってこられたのは、失われた伝統的な地域共同体と企業共同体のいずれでもない、自立した個によって形成される市民社会を盛り上げていくためだったのですね。


※拓海より・・・
 ハイ。かつて人々が血縁や地縁を通じて社会とつながり、その枠組みの中での労働を通じて社会人として認知されていった時代があったことは確かです。
 しかし、欧米や日本では既に血縁・地縁は社会の基盤ではなくなっています。また、多くの人が従事する企業労働にしても最早かつてのように全人性を発揮しうるものではなく、労働のみを通じて社会とつながっているという実感や認識を持つことが出来ないケースも増えています。
 そんな中で「家庭」を生活の基盤とし、「賃労働」を生活の縦糸とするならば、「クラブ」は生活の横糸と言えるでしょうね。
 ドラッカーの『非営利組織の経営』によると、米国では成人の2人に1人は非営利機関で無給のスタッフとして働き、この第2の人生に週当たり最低でも3時間、平均して5時間を使っているとのことですが、日本の場合はこれまで会社が共同体的役割を担っており、人々の生活を丸ごと呑み込んでいたため、こうしたクラブ(あるいはNPO)が成長してこなかったとも言えますね。


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※Sさんより・・・
 先日フィリピンの田舎に行ってきたのですが、そこは企業人が少ないせいか昔ながらの家族・地域共同体が息づいているように感じました。出産数が多く、初産年齢も若いため、どこへ行っても子供たちがいっぱいいます。子供たちは元気に駆け回り、大人たちは子どもたちと関わっています。子供たちも大人たちも、ともに働きながら、共同体として結ばれているように見受けられました。
 そのせいでしょうか、私は、フィリピンで貧しい人たちに出会っても、それほど悲惨な印象は受けませんでした。たしかにマニラでの失業率は高く、社会インフラもあきれるほど貧弱です。学校に行っていない子供も多く、少数ですが物乞いをしている人たちもいます。けれど、それをカバーするだけのものが背景にあるようです。もちろんこれは旅行者の誤解かもしれませんが...。


※拓海より・・・
 こういうことを聞くと色々な話をしたくなってくるのですが、今日はちょっと時間的余裕がないので、少しだけお話させてください。
 アリエスという人が『<子供>の誕生』という本を書いていますよね。ヨーロッパが近代化する過程において「子供」という概念も作られてきたのだということを喝破した本で、僕はなかなか面白いと思いながら読みました。
 前近代的な社会においては地域共同体は「生産=労働」の現場であり且つ「生活」の場でもあったわけで、そこにおいては大人も子供も皆それぞれの役割を担いながら共に働く仲間でだったのです。勿論、幼い子供たちを労る気持ちが大人達になかった筈はないと思いますが、ある面では大人と子供の間には近代社会においてよりもはるかに対等な関係が存在したと思います。
 僕が東南アジアを旅しながら見てきた社会にはそうした地域共同体がまだ残っており、大人も子供も共に汗を流しながらしっかり働いています。それを見て「子ども達が可哀想」などというのはナンセンスな話ですよね。
 しかし、他方では東南アジアの大都会、すなわちマニラやバンコクジャカルタといったところは、フィリピン、タイ、インドネシアの社会のあり方を必ずしも代表してはいません。そこはある種異常な世界でもあります。
 東南アジアの場合、故郷の田舎で暮らしていれば、自給自足でゆったりした暮らしを送ることは可能なのですが、やはり家電製品やらオートバイやらといった消費物資は田舎にも押し寄せてきますので、そうしたものを購入するためにローンを組まざるをえなくなったりして、やむをえず都会に働きに出る人が出てきます。
 こうした人たちの中にも稀に企業で働くことが出来る人がいますが、その多くは露天商をやったり、様々なやり方で小銭を稼ぎながら生活しています。こうした人々は政府の統計上は「失業者」になるわけですが、彼らにはそのような認識はないでしょうし、他の誰もがそうは思っていません(当たり前ですよね)。
 社会学ではこうした人たちのことをインフォーマル・セクターと呼ぶのですが、何だか無理のある呼称ですね。ちなみにジャカルタの露天商と売春婦の暮らしについて書かれた『ノーマネー、ノーハネー』(木犀社)という本は東南アジアの都市におけるインフォーマル・セクターについて触れた本の中では最も読み応えがありますので、是非一度読んでみてください。
 こうした地方出身者は大都会においても出身地別に固まって住み、また働いていますので、街をもう少し時間をかけてきちんと歩いていると、ブロック毎に異なる雰囲気があることに気がつきます。レストランなどでボーイをやっている人たちも大体出身地別に固まっているケースが多いので、そうしたことを観察するのも面白いですね。
 つまり、彼らは都市に出てきても地域共同体をそのまま持ち込んできているわけです。今回Sさんが観察されたのは、そういった人たちの元気な暮らしだったろうと思います。
 インドネシアを代表する作家のアイプ・ロシディ氏は、1959年に『山羊』という題の短編小説を発表しています。当時のインドネシアは独立してからまだ10数年しか経っておらず、ジャカルタもまだ現在のような大都会にはほど遠い状況でした。
 スカルノ大統領はインドネシアの統一を推進するにあたって「村落のモラル」をそのまま「国家のスローガン」に置き換えるという手法を取っていたのですが、そうした中で特に「ゴトン・ロヨン(相互扶助)」という言葉は非常に重視されていました。
 ところが、『山羊』の中には既に以下のような文章を見出すことができます(訳:粕谷俊樹氏)。こういう文章が当時のジャカルタで書かれていたというのは、ちょっと驚きですね。


「彼は村での日常生活に直接関連するような仕事をするのには慣れていた。術語を使えば「古風な」と称されるような、相互扶助を基盤とした村落体制に生きる最後の世代の典型だった。このような村の社会においては、ゴトン・ロヨンとは他人にやらせて自分は懐手をしつつ結果だけを享受することのできる単なるスローガンではない。祖先から受け継いだ伝統的な制度である。村の社会においては、ゴトン・ロヨンとはお題目のごとく唱えたり、金言として有り難がるものではなく、行動し実践するものである。このような村の社会では、住民たちの間の関係は大変緊密であった。」


「私自身はもう8年も大都会に住んでいるが、そこに住む人たちとの交流は少なくなるばかりで、堅い絆に結ばれた村の社会との差は開くばかりである。人々は専門技術を追い求め、その結果としてそれぞれの専門に応じた組織が作られる。更に不幸なことに、大都会の住民は大部分がホワイトカラーで、おしなべて知っているのはタイプで文章を作ったり、計算機を使ったり、数字を記録したり集計したりすることだけで、日常生活において直接必要とされる仕事にはまったく無知である。」


「ジャシムおじは、純粋に村落社会に生きる村人の最後の世代の一人である。彼らの間には、単にゴトン・ロヨンを知り、行うという生活面での付き合いばかりでなく、仕事上だけの関係を超えた深い精神的な絆とも言うべき互いを必要とする親密な関係が結ばれている。そして、その緊密な関係は人と人との間ばかりではなく、人と山羊、つまり人と家畜の間にまで及んでいる。このような関係は、それぞれ専門技術に基づくグループに分かれて暮らしている都市社会に求めてもしょせん無理である。」


 さて、東南アジアの経済危機は相当に深刻です。とは言え、僕は田舎で暮らしている人々の生活がそれほど大きな影響を受けるとは思いません。一番大きな影響を被っているのは、ロシディ氏の小説の中にも登場する新興エリート、新興中産階級の人たちでしょう。彼らの多くは都市で生まれ育ち、それなりの教育を受けて世の中に出て行った人たちなのですが、1980年代後半以降のアジア・ブームに乗って、エリート・ビジネスマンとして企業で活躍してきた人達です。
 ところが、こうした人たちは既に地域共同体とは切れてしまっていますし、いわゆるインフォーマル・セクター的な労働にも慣れていません。ですから経済危機によって「失業者」となった時には結構悲惨な運命が彼らを待ち受けています。日系企業もアジア・ブームの頃はどんどんアジアに投資をして、こうした新興エリートを雇用していましたが、今は彼らをリストラしていますので、その影響は小さくないでしょう。


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※Mさんより・・・
 地域共同体については、それがかつては会社と同様、生産のための組織でもあったということを忘れてはならないと思います。


※拓海より・・・
 おっしゃる通りです。実はそこが一番重要な点なのですが、地域共同体においては、労働を通じて社会とつながり、家族とつながることが出来ていたと思います。
 しかし、会社という疑似共同体においては、労働が家族の日常からはあまりにも遠くなり、また企業内での労働のあり方も専門性を増すにつれて社会から隔離されたような形になることが少なくはないと思います。
 会社の活動が素朴であった時代は「会社人=社会人」とも成り得たのでしょうが、今やそうとは言えない段階に入っているのではないでしょうか。


※Mさんより・・・
 いまでも都会人が田舎に来てびっくりするのは、早朝と正午のサイレン(地域によっては音楽)と、防除等を薦める広報です。こんなものは農業をする人以外には騒音公害でしかないのですが、それが堂々と通用するのは、農村が生産現場であったからです。
 いま、農村が生産現場でなくなっている以上、お察しのように村社会は再生できないだろうと思います。そして、会社的社会が変質せねばならないのは、もはや会社がものを生産する現場でなくなっているからだとこじつけることもできるかもしれません。
 では生産の現場は現在どこにあり、これからどこにあることになるのか、それが案外と鍵になるのかもしれませんね。


※拓海より・・・
 20世紀の生産現場は、それが第一次産業であろうが、第二次産業であろうが、ただひたすらに低コストで物を作れるところを目指してシフトし続けてきました。それがいずれは限界にぶちあたることは誰もが薄々感じていながらも、企業も国家も経済的競争に打ち勝つためにそれを続けてきたわけです。しかし、そうしたやり方もさすがに行き着くところまできたような気がしますし、21世紀は必要のないモノは出来るだけ動かさないということが課題になるでしょう。そうすると生産現場は自ずから限定されてきますね。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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