拓海広志「『エンデの遺言』を読む」

 この本の内容に基づく番組がNHKで放映されたことや、それがちょうど地域通貨ブームと重なっていたことから、この本は大変有名になり、日本の地域通貨ムーブメントに対してポジティブな影響を与えました。ここでは本書についてのレビューと言うよりも、本書を読みながら思いついたことについて少し書いてみようと思います。


 ミクロネシアのヤップは巨大な石貨で有名な島です。石貨は古来ヤップの男たちがカヌーに乗ってパラオ諸島まで渡り、そこにある結晶石灰岩を円盤状に切り出して持ち帰ったものです。僕は20歳台の頃に仲間たちと共にヤップでカヌーを建造し、それでパラオまで渡って石貨を取ってくるという「石貨交易航海再現プロジェクト」を実現したことがあるのですが、そのプロジェクトを通して随分多くのことを学ばせていただきました。


 昔から、鉱物や貝殻、クジラの歯など、様々なものが人間の貨幣として使われてきましたが、そうした中でもヤップの石貨には幾つかのユニークさがあります。特筆すべきなのは、石貨の価値を決めるのが、それを取ってくる航海の苦労の度合や、島に持ち込まれてからの流通の履歴といった物語によるということであり、必ずしも石貨のサイズや造形的な美しさだけによるのではないという点でしょう。だから、巨大な石貨を島に持ち帰る途中に嵐に会い、カヌーもろとも海の底に沈んでしまったような場合でも、人々は「○○さんの曽祖父たちが今もなお海の底で運び続けている、あの石貨」を指定して取引することもできるのです。


 石貨はあたかも不動産のように、島の中の一定の場所に置かれます。そして取引がなされても、石貨が物理的に移動することはなく、ただ島の人たち全員が、それが誰と誰の間でどのような取引に使われ、今は誰にその所有権があるのかを確認すればそれでよいのです。こうした石貨の流通が可能であるためには、島の人たちがその航海や生活に関わる文化に対して一定の価値観を共有していなければならず、それがなくなると石貨はただの瓦礫になります。ヤップへ行くと、かつてオキーフという名のドイツ人が汽船で大量に運び込んだ石貨が観光用にずらりと並んでいますが、こうした石貨には物語がないので、結局ヤップで価値を持つことはなかったようです。


 現在のヤップでは日常の経済生活には米ドルが使用されていますし、ヤップ人の消費生活がかなりアメリカナイズされてきた今となっては、石貨は観光目的の他には意味がないように思われがちですが、それでもまだ儀礼的なことに関しては米ドルと併用で使われることがあるようです。こうした形で今もなお利用されている石貨は地域通貨の原点とも言えますが、僕はそれが島の人々が思いを共有する物語によって価値付けられるという点に着目して、それを有志通貨とも呼んでいます。海の底に沈んだ石貨を使っての取引といったおとぎ話のような話も、それが有志通貨であるからこそ可能なのでしょう。


 数年ほど前から日本でも急に地域通貨ブームが起こっています。しかし、地域もまた多様性を前提として成り立っている以上、地域通貨を成り立たせる要件の一つである「価値観の共有化」をどのレベルで行うのかということを明確にしておかないとそれは定着しえないでしょうし、逆にそれができるのであれば、あえて「地域」にこだわらなくても、同じ価値観を持つ人たちのネットワークの中で、有志通貨としてバーチャルに流通させることが可能なのではないかと、僕は考えています。


 例えば、共通の、あるいは類似したミッションを持ってそれぞれの地域で活動しているNPOがあるとします。日本のNPOの多くは小企業のようなもので、少数のメンバーが経営を成り立たせるために必死になって奮闘しているのが実情ですが、こうした苦労しながらも自立・自活しようとしているNPOを全国で、あるいは全世界でネットワーク化し、相互の協力体制を作り上げる上で有志通貨を用いることはできないものでしょうか? 『エンデの遺言』を読み終わった僕はふとそんな提案をしてみたくなりました。


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【ヤップ島の石貨】


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