拓海広志「キラキラ日記帳(3)」

 これは今から10数年前のある年の11月半ばから翌年の1月初旬にかけて、インドネシアで書いた日記からの抜粋です。


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★某月某日

 今日から4日間、国立博物館で「国際バジャウ・セミナー」が開催される。バジャウ(bajau)とは「オラン・ラウト(orang laut:海の人)とも呼ばれる東南アジアの漂海民のことで、スールー海、サバ、カリマンタン東岸、スラウェシなどにおいて家船や海岸に建てた杭上家屋に住みながら、暮らしを営んできた人々である。

 バジャウについてはディビッド・ソーファー氏の『The Sea Nomads』という本がよく引用に用いられるが、日本でも鶴見さんなどが早くから東南アジア島嶼域での漁業と交易において彼らの果たした役割について注目しておられたし、スールー海シタンカイのバジャウと生活を共にしたフォト・ジャーナリストの門田修さんも『漂海民〜月とナマコと珊瑚礁』という本を書いている。

 「多様性の中の統一」を謳い文句にしながらも、政治はジャワ人、経済は華人が握るという形で強権国家を築いてきたインドネシアにおいて、国の主導(LIPI(インドネシア科学技術院)と国立博物館の共催)で「国際バジャウ・セミナー」なるものが大々的に開催されたことにはチョッとした驚きがあった。

 インドネシア、フィリピン、マレーシア間の国境を無視して昔ながらの漂泊生活と交易(法的には密輸)を行う「海人・バジャウ」に対してインドネシア政府は半ば強制的とも言える定住化政策を進めてきているのだが、その意味ではジャワ政権はこれまでバジャウのライフスタイルは認めていなかった筈なのだ。セミナーを企画したLIPIの研究者たちと、それを認めた文化省や内務省の役人たちの間でどのような駆け引きがあったのかは、何となく気になるところである。

 それはともかくとして、ジャカルタにおいてこのようなセミナーが開催され、世界中からバジャウ研究者が大挙して集まったのはやはり大きなエポックである。日本からは鶴見良行秋道智彌村井吉敬内海愛子、門田修、寺田勇文、前田成文、福家洋介、上杉富之、床呂郁哉、長津一史(敬称略)といった面々が集まり、シタンカイからは門田さんの著作で有名になったスールー海のバジャウ、ハッジ・ムサも駆けつけた。

 僕は日中は仕事があったので残念ながらセミナーには参加できなかったのだが、この日は夕方に国立博物館セミナーの記念パーティーが催されたので、僕はそこに顔を出すことにした。会場にはバジャウに関する様々なものが展示されていたが、潜り漁に使われる木製の水中眼鏡(ゴーグル)を見つけた秋道さんは、「これは恐らく糸満漁民が東南アジア島嶼域に伝えたものだろうな」と言われていた。

 かつて、僕は奄美出身の詩人・作井満さんから強く薦められて、安達征一郎氏の『祭りの海』という痛快な海洋小説を読んだことがあるのだが、そこにはたった一人でサバニに乗って沖縄からルソン島まで軽々と渡っていく糸満の勇者が登場してくる。糸満漁民が東南アジア島嶼域に伝えた漁法は今もなおインドネシアの海に残っているが、糸満やバジャウの人々が付けた水中眼鏡の向こうに映っていた海の景色を眺めてみたい。


★某月某日

 今日で「国際バジャウ・セミナー」も終了し、私は秋道智彌さん、門田修さん、ハッジ・ムサさん、床呂郁哉さんの4人と夕食をご一緒することにした。

 秋道さんは言わずとしれた海洋民族学の第一人者、門田さんは世界を股にかける海洋フォトジャーナリスト、ムサさんはスールー海のシタンカイで学校の教師をしながら、自分たちの文化をきちんと外部に伝えるために様々な活動を展開しているバジャウの人、床呂さんは東大の大学院で文化人類学を学んでおり、特にバジャウを研究テーマとしている。こういう顔ぶれで飲むと、話が世界中の海を飛び回って収拾がつかなくなってくるのだが、それがまた痛快なのである。

 最近、門田さんはベトナムの海を重点的に歩いておられるそうだが、僕もベトナムは大好きなところである。そう言えば、サイゴンの食堂でうまい生春巻を食べながら333ビールを飲んでいた時、偶然隣に座っていた学生風の男性と話すことになったのだが、その際に彼が「13世紀に日本を襲った元寇が二度で終わったのはベトナムのおかげなんだよ」と言ったことが、今でも記憶に残っている。

 つまり、当時モンゴル軍が全力を投入して攻めていたのはベトナムであり、同時期に敢行された日本攻めは朝鮮の傭兵を使っての侵攻であったのだが、モンゴル軍は名将トラン・フン・ダオ(陳興道)が率いるベトナム軍によって返り討ちにあい、そのダメージが大きすぎたために日本に攻め込む力を失ったというわけである。こう考えると元寇を退けたのは神風だけではなかったわけだが、僕たちにもこんな風にアジア太平洋全体を見ながら日本史を見つめる視点は必要だろう。

 いろいろな話が飛び出す中でセミナーの話題にもなったのだが、ムサさんが「バジャウは玩具じゃないんだ!」と激昂した瞬間があった。秋道さんによると、ろくにフィールドワークもせず、バジャウの文化や社会の現状について何も理解していないにもかかわらず、他人の書いた論文や文献だけに基づいて発表する人もいたそうで、ムサさんの怒りはそういう研究者に向けられてのものなのだった。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



秋道智彌さん(向かって左上)、ハッジ・ムサさん(向かって右上)、門田修さん(向かって左下)と共に】


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