これは今から10数年前のある年の11月半ばから翌年の1月初旬にかけて、インドネシアで書いた日記からの抜粋です。
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★某月某日
昨夜はよく飲んだが、早朝から起きだしてプラブハン・ラトゥの漁港へ向かう。沖のバガンで捕った魚やエビなどを積んだカヌーが浜に戻って来ており、魚市場は既に賑わっている。鶴見良行さんだけはロスメン(民宿)で少し休養をとっていただくことにし、残りのメンバーは中島保男さんが網元に頼んで手配してくださったパヤン船にいそいそと乗り込み、海に乗り出した。
プラブハン・ラトゥの南東側にはゲンテン岬が突き出ており、船は外海に出るまでの間はその岸に沿って南下して行くことになる。港を出てから2時間半ほど行ったところで、岬の突端近くにある入江の浜にいったん上陸した。入江の中には固定式バガン(敷網)が三つほどあり、きれいな砂浜もある。ここで浜を散策する部隊と、外海に出て行き、さらに釣りを続ける部隊とに分かれることになったが、僕は秋道さんらと共に浜に残ることにした。
浜には小型のシングルアウトリガー・カヌーが数隻あり、ニッパ椰子の葉で作った小さな仮小屋が幾つかあった。岩場にはすごい数のトビハゼがいたが、残念ながらこれはムツゴロウとは違ってあまり食用にはならない。
浜にいた漁師たちに聞くとこの浜は最寄りの村からでも山道を歩いて5時間は掛かるそうで、彼らは浜の仮小屋に一時的に滞在して漁を行い、獲った魚は浜でアシン(塩干し)やチュウェ(生節)にした後、船でプラブハン・ラトゥの市場へ運ぶのだという。ちょうど仮小屋の中ではカツオを生節にするために新聞紙にくるんでバケツの鍋に入れて蒸しているところだった。
ところで、インドネシアで見られるカヌーの多くはダブルアウトリガーの付いたものなのだが、時にはこの浜でのように、シングルアウトリガーの付いたものを目にすることもある。カヌーの原点は丸木をくりぬいて作った舟だが、その舷側を補強して準構造船とし、安定性と浮力を増すために両舷から突き出させた腕木に竹のフロートを付けたものがダブルアウトリガー・カヌーの原型である。
このカヌーは東南アジア島嶼域において紀元前4〜3千年前に発明されたとされており、モンゴロイドはこの画期的な船を使ってメラネシア、ポリネシア、ミクロネシア、ニュージーランド、あるいはマダガスカル島へと拡散していったのである。
ダブルアウトリガー・カヌーは安定性には優れているが、その分推進時の抵抗が大きく、東南アジア島嶼域では未だにダブルアウトリガー・カヌーが使われているものの、ポリネシアではダブルカヌー(カタマラン)に、またミクロネシアではシングルアウトリガー・カヌーへとカヌーは変化していったようだ。
東南アジア島嶼域のダブルアウトリガー・カヌーとミクロネシアのシングルアウトリガー・カヌーの間には決定的な違いがある。それは、前者においては腕木の先に付けられる竹が「浮き」の役目を果たすのに対して、後者においては腕木の先にはパンの木などを取り付けて風上側の「錘」として使うことである(ちょうどディンギーで帆走する際に乗り手が風上舷から外に身体を思い切り突き出すのと同じ理屈である)。また、シングルアウトリガー・カヌーにはヨットのようなセンターボードはないが、アウトリガーの「錘」は船が風下の方に流されるのを防ぐ役目も果たすという。
これらのことが、シングルアウトリガー・カヌーの直進性と逆風に対する切り上がり性能を高めたわけだが、常に風上側にアウトリガーがくるようにせねばならぬことから、船の前後は同型になっており、船が向きを変える際にはマストを船首から取り外して船尾に付け直すという重労働が必要だ。従い、風向きの変わりやすい海域ではこのカヌーは使いにくく、ミクロネシアのように季節毎に大体一定した風が吹き、移動の方向も概ね一定している(東西移動)海域にはもってこいだと言えよう。
こうなると何故インドネシアで時折シングルアウトリガー・カヌーを見かけるのか不思議だが、僕はそれは漁法との関係によるものと見ている。僕の見てきた限りにおいて、インドネシアのシングルアウトリガー・カヌーは全て腕木の先に「錘」ではなく、「浮き」である竹を付けている。また、その多くはごく小型で、とても長距離航海をするために用いるとは思えぬものばかりだった。
アドリアン・ホーリッジ氏は『Outrigger Canoes of Bali and Madura, Indonesia』という著書において「バリではシングルアウトリガー・カヌー(jukung pemencaran)は投網で漁をするために用いられる」(つまり腕木の付いていない方の舷から網を投げるということ)と記しているが、これも僕の考えを補強してくれるのではなかろうか。
ところで、浜に上陸した我々が仮小屋の一つをのぞくと一人の若い娘が数人の漁師に囲まれて食事をしていたので、チョッと驚くと共に、すぐにピンときた。つまり彼女は浜の男たちを相手にする夜鷹なのである。一人の漁師にそっと訊ねて僕の推測が正しいことが判明したが、海の荒くれ男たちは妙に照れたような神妙な顔つきで娘を囲んでいた。
かつて、日本の海にも「遊女舟」「遊女島」なるものがあり、遊女たちは長い漁で疲れた漁師たちに再生の力を与える存在であったが、彼らの様子を見ながら、僕はふとそんなことを連想した。売買春の倫理や社会的な背景というのは、時代と場所が異なると当然違ってくるので、それを普遍的に論ずるのは困難だが、同時に安易な類推もよくないだろう。
説教節『をぐり』において小栗判官を蘇生させたのは熊野湯峰の「湯」の持つ霊力だったが、小栗を熊野に導いたのは遊女と化した照手姫であり、そこには遊女に仮託された自然の持つ再生力への信仰をも見ることができる。日本の中世における遊女は、古代における巫女が転化したものとも言われているが、かつての遊女はそういう存在だったのである。こうした中世の遊女と、近世の遊女、あるいは近・現代の売買春を全く同列に論ずるのは正しくない。
また、東南アジアでは売春目的での女性・児童の人身売買が大きな社会問題となっており、こうしたことは徹底的に糾弾していく必要があると思うのだが、同時に人類史における「性」の問題全てを、時代と場所、つまり文化的・社会的背景の相違を無視したまま、現代日本の僕たちの道徳観だけで矮小化してとらえるべきではないだろう。
(無断での転載・引用はご遠慮ください)
【鶴見良行さん(向かって右)と、プラブハン・ラトゥの食堂にて・・・】
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