拓海広志「『ナマコの眼』を読む : 鶴見良行さん」

 鶴見良行さんと私の出会いは意外に遅く、良行さんが晩年になってからのことなのだが、私は良行さんの著作については学生時代から多数愛読していた(鶴見良行さんは私のような若輩者からもファーストネームで呼ばれることを好む気さくな方だったので、ここでもあえてそう呼ばせていただく)。しかし、『ナマコの眼』という本を読んだ時に無性に著者と会いたくなり、私は良行さんに手紙を書いたのである。その頃、良行さんは癌の手術を受けた直後で療養中の身であったにもかからわらず、はるばる奥吉野まで足を運んでくださり、そこで私たちが催していたシンポジウム「渡海−海を渡った人々」に飛び入り参加してくださった。


 その時のシンポジウムでははるばる海を越えていく船乗りや漁民、移民者、冒険家、宗教者などのことがテーマだったのだが、良行さんはそうした特別の意識などないままに「渡海」を日常生活そのものとしている東南アジア多島海の人々について語ることによってシンポジウムの幅を拡げてくださり、それ以来良行さんと私の間で交流が始まったのである。その後、私は4年間ジャカルタに住んだのだが、少しまとまった休みが取れると東インドネシアやスマトラの海を歩き回り、またたとえ短い週末でもジャワの河海を歩いていたのは、宮本常一流を踏襲した良行さんの流儀に私も倣った面があったろうと思う。また、「国際バジャウ・セミナー」に出席するためにジャカルタに来られた良行さんを案内して西ジャワのプラブハン・ラトゥを訪ねたことなど、楽しい思い出もある。


 鶴見良行さんの『ナマコの眼』はとても平易に書かれた、誰が読んでも楽しめる本だが、そこには良行さんの思想や世界観も凝縮されている。良行さんの学問には「闘争のための手段」という側面もあるのだが、同時に「楽しき哉、学問」という言葉を口癖にしていた良行さん流の「遊び心」も満ち溢れている。『ナマコの眼』はその二つの面が見事に融和した稀有な作品なのだが、表現の次元では「遊び心」の方が勝っていることがこの本を読みやすくしている。私たちは良行さんの持っていた「闘争心」と「遊び心」の二面性を見抜き、それらを思想の上で等価的に扱えるようになっていた良行さんの境地を見誤らぬようにしたいものである。


 『ナマコの眼』はまずナマコをめぐる文化史として読むことが可能だ。魚類や貝類、鯨類、エビ、カニ、タコ、海藻に関する文化史的な書物は枚挙に暇がないが、ナマコについて書かれたものとなると、大島広氏の『ナマコとウニ』以外には、私は寡聞にして知らない。伊勢神宮の神官を務めておられた矢野憲一さんも江戸時代にナマコ(イリコ)と共に俵物三品とされてきたサメ(フカヒレ)、アワビ(ホシアワビ)については書いておられるものの、ナマコについてはまとまったものはお書きになっていない(矢野さん曰く「鶴見さんが『ナマコの眼』を書かなかったら、自分もナマコの文化史を書いてみたかった」とのことなので、準備はなさっていたのだろう)。荒川好満氏の『なまこ読本』にしてもナマコの生態や漁法、増殖法に関する記述が大半で、文化史的なことに言及した部分は僅かである。その意味では、『ナマコの眼』は他に類例を見ない「ナマコの文化史」としての意義を持つ書物だと言える。


 「文化」の本質とは、ヒトが自然、モノ、他者とどのように関わるかという<関係>性のことだというのが私の持論である。従って、『ナマコの眼』が「ナマコの文化史」であるならば、それをナマコというモノを媒介としてヒトが自然、モノ、他者といかに関わってきたのかを記した<関係>史として読むこともできる。だが、『ナマコの眼』にはイリコが中国人たちの食の世界においてどのように流通し、どのように調理されるのかについて言及した箇所は少なく、その大半はナマコが大量に食される中華世界から見た辺境の地でナマコを捕り、加工する人々に関する記述である。もし、良行さんほどの人が本気で文化史を書くつもりだったならば、そうした部分についてももっと体系的に記していた筈なので、良行さんが目指したのは必ずしもそうした文化史的な書物を書くことではなかったと思われる。


 ところで、良行さんは1982年に『バナナと日本人』という本を書いておられる。これはフィリピンのバナナ農園と日本の食卓の間で日米の多国籍企業が何をしてきたかについて詳細に調査した結果をまとめたもので、東南アジアと日本の間の歪んだ<関係>を告発する書として大きな反響を呼び、良行さんの意図に反して一部の市民団体がバナナの不買運動を起こすほどの影響力を持っていた。また、村井吉敬さんが1988年に書かれた『エビと日本人』も『バナナと日本人』と同じ問題意識に基づいており、やはり台湾やインドネシアのエビ養殖池と日本の消費者を結ぶ線上で多国籍企業がやってきたことを告発している。だが、『ナマコの眼』はこれらの書物とは趣が異なっており、何も告発していない。バナナやエビとナマコの違いは一体どこにあるのだろうか?


 『ナマコの眼』において、「ナマコ」とは直叙でもあり、隠喩でもある。ここで語られているのは紛れもなく「ナマコ」に関する話なのだが、海底に横たわるナマコは「目立たぬもの」「重要視されぬもの」「忘れ去られたもの」「辺境・周縁に位置するもの」の隠喩でもあり、『ナマコの眼』(ナマコには生物器官としての目はない)というタイトル自体が、そうした<辺境・周縁>から物事を見てやろうという良行さんの意思表明なのだ。だが、バナナやエビの場合は、<中央>である先進国の企業や消費者と<辺境・周縁>であるアジアのプランテーション農園や養殖池の労働者の間を結ぶ線は単線であり、真っ直ぐにたどっていくと簡単に全てが見えたが、ナマコを媒介として見ていくとこれはなかなか複雑で、かつ重層的な構造になっている。そして、バナナやエビの場合のように、具体的に告発すべき対象がそこに現出するわけではないのだ。


 どこの国においても歴史学とは文献学であり、権力を握ったものが自分たちに都合のよいように書き残した文献に基づいて、後世の歴史家たちはそれを作り上げていく。また、近代以降の歴史学は国家史をその対象としており、過去を現存する国家の雛型と見なした上で歴史を綴っていく傾向がある。前者は縦軸の問題であるが、これによって権力者たちが残した文献に表れてこない民衆の歴史が忘れ去られてしまう。後者は横軸の問題であり、人為的に作られた現在の国境に基づいて過去を見ることによって、地理的な広がりの中での人々の動きや関係性が見落とされてしまう。こうしたことに対する反省はヨーロッパでも日本でも出てきており、海や山からの視点を導入したり、民俗学や考古学などの成果を取り入れることによって、これまで<辺境・周縁>として切り捨てられていた世界を取り込みながら歴史学を再構築しようという動きは活発になってきているが、『ナマコの眼』はそういう動きとも響き合っている。


 『ナマコの眼』が探求する<辺境・周縁>世界は、「大地」に対するところの「海」「島」であり、「農業」に対するところの「漁業」、「農民」に対するところの「漁民」「商人」であるが、漁民の中でもナマコ漁はさえない仕事という認識がある場合が多いというから、ナマコ漁は漁業の中でも<周縁>に位置している。また、『ナマコの眼』には「ヨーロッパ」に対するところの「アジア」という問題意識もあるが、そのアジアの中でも「中華世界」に対するところの「ミクロネシア」「豪州」「東南アジア」「日本」「朝鮮」といった周辺世界への目配りがある。さらに、豪州の中でも「白人社会」に対する「アボリジニ社会」に、東南アジアのインドネシアにおいても「ジャワ」に対する「スラウエシ」「マルク」といった外島に、また「マラッカ海峡」に対する「マカッサル海峡」「スールー海」に、そして日本においては「江戸」「京都」に対する「熊野」「伊勢」「能登」「松前」などに、また「倭人」に対する「アイヌ」へと関心が向かい、南スラウエシにおいては「ブギス」「マカッサル」に対する「マンダール」「バジャウ」にまで至る。つまり、『ナマコの眼』は徹底して<辺境・周縁>へとその視線を移していくのである。


 良行さんは「<辺境・周縁>へのアプローチという作業は、タマネギの皮を一枚一枚剥いていくようなもので、どこまで剥いていってもキリはなく、またそれによって事物の本質に迫れるといったものでもない」と語っておられるが、それはまったくその通りで、<辺境・周縁>を探求したからといって簡単に新しい歴史観や世界観を獲得できるわけではない。ただ、中央中心主義的な歴史観、世界観を相対化し、その全体像をつかむためにはこうした地道な作業は不可欠なのであり、良行さんは「今は焦って無理に大きな理論、物語を語るべき時期ではなく、これまで見落とされていたものを丹念に拾い集めながら材料を揃えていくべき時期だ」とも語っておられた。とは言え、そんなふうに<辺境・周縁>の地を巡りながらも、いつの間にか新しい世界像を作り上げてしまうのは良行さんの視野の広さと筆力によるものであり、そこには緻密に練り上げられた戦略もあるように思われる。


 <辺境・周縁>をめぐる学問は国家を相対化する力を持ち得るが、良行さんはアカデミズムにおける学問のジャンル分けに対しても問題を提起しており、例えば東南アジアとオセアニアという地理学上の区分にこだわり過ぎると、東インドネシアとミクロネシアパラオ諸島、あるいは豪州北部が非常に近く、古くから人々の交流があったという事実さえ見えなくなってしまうと語っている。かつてインドネシアが「海のシルクロード」とも呼ばれる東西交易の重要な中継地であったことや、ヨーロッパ人にとっての「大航海時代」において「香料諸島」と称されたマルク諸島からヨーロッパに向けて丁子やナツメグなどの香料が積み出されたことはよく知られている。だが、豪州北部のカーペンタリア湾からアラフラ海、マルク、スラウエシにかけての海域が中国市場向けのナマコを産し、そこからフィリピン、台湾を経て中国へ至る、「ナマコロード」とも呼ぶべき道が昔からあったことを知る人は少ない。良行さんはアカデミズムにおけるジャンル分けにはあまりこだわらず、素直にナマコを追っていくことによってその存在に気付いたのである。


 『ナマコの眼』を読むと、アジア太平洋と呼ばれる地域の見方、眺め方が少し変わってくるだろう。アメリカ中心でもヨーロッパ中心でもなく、日本中心でも中国中心でもない、それぞれの地域で生きている人々の普通の生活を軸に据えたアジア太平洋地域の見方、眺め方があるということに読者は気付かされるのだ。つまり、<中心>と<辺境・周縁>を対置させるのではなく、それぞれが生活者の集団として独立した存在であり、それらが相互補完的な<ネットワーク>で結ばれているという見方、眺め方である。勿論、各地で集められたナマコは香港の市場を目指し、それらは中国人あるいは東南アジア各地に住む華人たちによって消費されるので、<辺境・周縁>から<中心>に向かってモノが動くという構図はある。しかし、それは大航海時代の欧州列強がアジアで行ったような、あるいは現代の多国籍企業がアジアのプランテーション農園やエビ養殖池で行っているような搾取的な関係とは異なり、もっと対等な関係の上に成り立つものだというのが、良行さんの見方のようである。


 少し長い紹介となったが、改めて良行さんのご冥福をお祈りすると共に、まだ『ナマコの眼』を読んだことのない方には是非読んでいただきたいと思う。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【プラブハン・ラトゥの食堂にて。鶴見良行さん(左端)、秋道智彌さん(左から3人目)と】


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