拓海広志「カタフリ夜話(1)」

 海の仲間が狭い船内で酒でも飲みながら、四方山話ならぬ四方海話にふけることを、船乗り言葉では「カタフリ」といいます。今回は今から8年ほど前に海の仲間たちと作っていたMLで交わしたやり取りの中から、僕が書いた部分を幾つか抜粋して紹介させていただこうと思います。


※題名:浦島伝説

 浦島伝説に関するHさんの説はなかなか興味深い視点を提供してくださったと思います。柳田国男も『海上の道』の中で浦島伝説が南島由来のものであることを示唆していますが、その中で日本の文献上に初めて浦島子の記述が出てくるのは雄略天皇紀の22年とのことで、そこでは竜宮のことを蓬莱山と称しており、その古訓はトコヨノクニであったと書いています。

 「竜宮」にせよ「蓬莱」にせよ、いかにも当時の外来語。中国南方の文化的影響が感じられます。柳田は琉球地方に伝わる酷似の伝説をも取り上げながら浦島伝説と渡来神信仰とのつながりにまで言及していますが、そこから先は原典を読んでみてください。それにしても徐福が出てくると「すわ熊野か?」とつい悪のりしたくなりますね(笑)。

 一方、Oさんの讃岐説についてですが、松谷みよ子氏が編集した『日本の伝説』は「浦島太郎」を讃岐の西方に浮かぶ荘内浦島というところに伝わる話としており、太郎が玉手箱を開けたところを箱浦、白い煙が紫にかすんだところを紫雲出山と呼ぶようになったと書いていますが、大島広志氏の解説には浦島話は香川以外に、丹後半島と神奈川県横浜にそれぞれ著名なものが伝えられていると書かれています。

 また、坪田譲治氏の『日本むかしばなし集』は北前の大浦というところを舞台として浦島話を記述していますが、この話は少し変わっていて、浦島が小舟に乗って釣りをしていると何度も何度もカメばかりがかかって魚が釣れないので、怒ってそのカメを遠くへ投げ捨てたところ、一隻の船が近づいてきて浦島を竜宮まで連れ去ったということになっています。

 ちなみに先だってご紹介した西岡秀雄氏の『日本人の源流をさぐる』が浦島伝説をベトナム由来とする根拠は、人が乗れるほどの大亀が生息しているのはバシー海峡以南であること、竜宮伝説は中国文化圏に特有のものであること、竜宮城が常夏の地だったと伝えられていることから、この三つの条件を満たす地はベトナムハノイよりもずっと南、ホーチミンよりもずっと北のあたりしかありえないということにあります。

 Hさんの指摘にあった「駿河インドネシア語」説もこの本の中でふれられており、他にも以下のような例があげられています(茂在寅男氏的ですが・・・)。

 陸奥(mutu)= 地の果て(古代ポリネシア語)
 安房・阿波(awa)= 水路・海峡(ポリネシア語)
 駿河(suruga)= 楽園・天国(インドネシア語
 三保・美保(miho)= 狭い突出個所(ポリネシア語)
 熊野(ku/mano)= 何度も/碇をおろす(ポリネシア語)
 浪速(nani)= 両岸に挟まれた美しい河口(ポリネシア語)

 (後略)
  

※題名:浦島伝説の起源を求めて

 沖縄のニライカナイ信仰と常世信仰の関連性については折口信夫以降の民俗学では何度も語られてきたことですが、日本本土や琉球に伝わる浦島話が常世信仰に基づくことは明らかで、そこには神仙思想による潤色もあると思います。しかし、常世の原像は「根の国」、すなわち漆黒の闇に覆われた死者の世界だった筈です。そこで、浦島伝説を考える際に下記の二つの可能性を想定することができると思います。

1)浦島が死者の世界たる暗黒の常世を訪ねたという話が、神仙思想によって潤色されていった。

2)東アジアに特有の南方(西方)に対する憧れに基づく話が、神仙思想によって潤色されていった。

 勿論、考えられる可能性は他にも色々とあるのですが、常世論との関連で言うと、上の二つの可能性を見ておく必要があると思います。

 ところで、Hさんはかつては文明の中心であった中国から桃源郷の平和と不老不死を求めて旅立つという話が浦島伝説の背景にあるとし、その行き先として古代の未開地・日本の熊野や駿河が想定された可能性があるという指摘をされています。これは徐福伝説とも通ずる非常に興味深い話だと思います。

 上記のことを見ていくと、どうも浦島話は中国からベトナムや日本、琉球に想定されていた常世、蓬莱あるいは神仙郷を求めて出かけていく話が元になっているようにも思えるのですが、それ以前にもっとプリミティブな形の伝説が東南アジア島嶼域、特にインドネシアあたりにあった可能性も否定できません。そして、僕自身は神仙思想に基づく浦島話だけではなく、そちらの方にも強い関心を抱いております。

 日本における浦島説話は『日本書記』『万葉集』『丹後風土記逸文』などで見られますが、亀を助けるという報恩談が出てくるのは『御伽草子』以降のことで、ここに至って仏教色も加わったのではないかと思われます。『御伽草子』は浦島話の舞台を丹後としていますが、最後に浦島と亀が夫婦明神となるというのは、民話学的に言うと「本地思想によって潤色された異類物」ということになるのでしょうか。

 尚、面白半分に紹介すると、僕の愛読書の一つである太宰治の『お伽草子』にも「浦島さん」の話が出てきます(丹後の水江が舞台です)。これは今回の考察の参考にはなりませんが、面白いです!


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