拓海広志「『どっちがどっち』を観る」

 『どっちがどっち』は山中恒さんの名作『おれがあいつであいつがおれで』をNHKがドラマ化したもので、ある日突然小学校6年生の男の子と女の子が入れ替わってしまうという話なのですが、なかなかコミカルな仕立てになっていて、かなり笑えます。同時にキュンと切なくなるような寂しい場面、哀しい場面、そして優しさに泣ける場面もたくさんあって、最後まで飽きることなく楽しめます。


 男の子と女の子が入れ替わるという話は世界中に結構たくさんあって、日本の古典にも『とりかへばや物語』という話があります。「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」という考え方は子供たちの世界でもかなり強い力を持っていて、僕たちはなかなかそういう力から自由にはなれないのですが、同時に誰もが一度はそれを窮屈に感じたり、違う性を演じてみたいと思ったことがあるんじゃないでしょうか?


 『とりかへばや物語』や『どっちがどっち』は物語の中でそれを実現することによって、僕たちの心の中に潜む願望を満たしてくれるのですが、もし現実にそういうことが起これば、人は異性のことをもっと深く、より親身になって考えられるんじゃないのかなと思います。『どっちがどっち』でも、男女が入れ替わったことによって、2人はより深く相手のことを理解するようになります。それは性差を超えて、一人の人間として相手のことをよりよく理解するということなのですが、男同士あるいは女同士が入れ替わったとしても、そこまで深い変化は生まれないんじゃないのかなとも思います。


 それにしても、『どっちはどっち』で「いいなぁ」と思ったのは、急に男っぽくなってしまった女の子、急に女っぽくなってしまった男の子を、周囲がそれなりに受け入れていたこと。特にクラスメートたちが、たぶんそうだと薄々知りながらも、「まあいいか」的な大らかさで彼らを仲間としてそっと見守っていたことですね。


 子どもの頃に女の子になったことがあるという柔道師範役の天野鎮雄さんは「無闇に抵抗をせず、起こったことをあるがままに受け入れることこそが柔道の受身の本当の意味であり、極意です」と語るのですが、これはなかなか至言です。誰もがこんな風な柔らかさ、しなやかさ、優しさを持っていれば、もっと居心地の良い世界が拡がってくるような気がします。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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