拓海広志「アトピーのはなし」

 もうすぐ1歳になる僕の友人のお子さんの話なのですが、生後しばらく経った頃から顔や身体に湿疹が出てどんどんひろがっていくので、お医者さんに診てもらったところ、「アトピー性皮膚炎かも知れない」と言われたそうです。それからその友人はステロイドを含むいろいろな薬をお子さんに試しているのですが、あまりよくなりません。それでお医者さんを変えたりもしたそうですが、どのお医者さんも薬を出すだけで、これといったアドバイスはしてくれず、症状が一向に良くならないので、悩んでいると言います。


 言うまでもないことですが、僕は医師でもなければカウンセラーでもありません。従って、友人からこういう相談を受けても、僕がお話しできるのは自分の身の回りでの経験、またアトピーに悩む人たちから得た見聞、そしてこれまでに読んできたアトピー関連の解説書や論文などを通して、自分なりに得たごく僅かな知識に基づく偏ったものです。ですから、アトピーに悩む方には素人判断を避け、まずアトピー治療について詳しい医師を選んだ上で、その医師との信頼関係を大切にし、医師のアドバイスに従っていただきたいと思います。


 それにしても、まだ自分の意志をきちんと伝えることのできない赤ちゃんが、激しい痒みに耐えているのを見るのはとても辛いことですね。特にその原因がハッキリせず、医師の治療を受け、薬を塗っていても症状に目立った改善が見られなければ親として焦る気持ちはよくわかります。多分、この友人が語ってくださったことの中に、アトピー治療をめぐる幾つかの問題があるように思いますので、ちょっと書いてみようと思います。


 アトピーの語源は「奇妙な病気」を意味する古代ギリシア語ですが、現在ではそれがアレルギー性疾患であることはわかっており、その発症のメカニズムもかなり解明されてきています。アトピーがアレルギー性疾患であるならば、アレルゲン(アレルギーの原因・誘引物質)を遠ざければ発症しない筈です。ところが、アトピーの厄介なところは、それが皮膚の異常性などの複合要因によって発症することがあるため、特定のアレルゲンさえ除去すれば治るとは言えないことでしょう。アトピー患者に対して「あらゆる食品はアレルゲンだから食べてはいけない」などと無茶なことを言い、有機栽培の玄米だけを食べさせる民間療法者も存在するそうですが、栄養失調に陥る恐れさえある、そんな危険な治療をしたからと言って、必ず治るとは言えないところにアトピーの難しさがあります。


 それにしても、本来は身体に害を与える細菌やウイルス、寄生虫などに対して働かねばならない筈の免疫が、ある種の食べ物や家ダニ、埃、あるいは化学物質などに対して過剰反応するという、免疫システムの誤作動がアトピーを引き起こすのだとすれば、現代社会においてアトピー患者が増えているのは、私たちのライフスタイルに対する自然からのささやかな警告なのかも知れませんね。


 さて、友人のお子さんの話に戻りましょう。まず、生後間もない頃から赤ちゃんの顔や身体に湿疹が出てきたということですが、この世に生まれ出たばかりで、自分を取り巻く環境への適応が十分できていない上に、デリケートな肌を持っている乳児の皮膚に湿疹が出てくるのはよくあることで、それだけでアトピー性皮膚炎だと決め付けるのはちょっと早計のように思います。ただ、これはあくまでも一般論であり、専門医がアトピーの可能性を示唆しているのであれば、そうなのかも知れません。


 書店へ行くと、アトピーについて書かれた本がズラリと並んでいて、ビックリします。僕もかれこれ30冊くらいはアトピー関連の本を読んだのですが、その中で「これで必ず治る!」というふうに断定調・断言調で書かれた本の多くは民間療法者によるもので(その権威を高めるために、医師の名を借りて書かれているものも少なくない)、よく読むと首を傾げたくなる内容のものが多いです。他方、医師が書いたものの多くは、アトピーについて既にわかってきた知見をきちんと解説してくれてはいるものの、いささか学術的過ぎて、「要はどうすれば治るんだ?」ということを知りたい患者にとっては、ピンとこない内容のものが多いように思います。


 こうした中で、アトピー発生のメカニズムがわかりやすく解説された手軽に読める本として、三宅健氏の『子どものアトピー診察室』があります(ただし、本書ではアトピーの「アレルギー」としての側面のみが重視されており、アトピー性皮膚炎を引き起こすもう一つの側面として指摘されている「皮膚の異常性」については触れられておらず、患者にとって不可欠なスキンケアについてもあまり言及されていません)。


 三宅氏は、「痒いこと」「慢性的に経過すること」「アレルギーが背景にあること」という三つの特徴を症状の中に見出したときに、それを「アトピー」と診断すると言います。この基準に従えば、1歳未満の赤ちゃんの肌に生じた湿疹であっても、赤ちゃんが痒がっているかどうか、それが半年以上続く慢性的なものかどうか、両親や祖父母にアレルギーの既往歴があるかどうかといったことから、その症状がアトピーによるものなのかどうかの判断がつきやすいのではないかと思います。


 友人のお子さんを診た医師の多くはこれといった説明もせぬまま薬を処方したということですが、これはインフォームド・コンセントの観点から言うと、かなり問題です。アトピー性皮膚炎治療の基本は、アレルゲンとなるものを避けることと日々のこまめなスキンケアであり、さらには身体の免疫機構が正しく作動するように心身のバランスを整え、体質を徐々に改善していくことも大切でしょう。医師は患者の症状をアトピーだと診断したのであれば、その治療のポイントを丁寧に説明する必要があるように思います。


 アトピー性皮膚炎というのは、皮膚が痒いから掻く→掻き毟った傷跡に黄色ブドウ球菌などの細菌が繁殖して炎症を起こす→さらに痒くなる、というプロセスを繰り返す病気ですから、症状がひどい場合にはステロイド(副腎皮質ホルモン)などの力で皮膚の痒みや炎症を抑えることが重要です。しかし、これはあくまでも対症療法であり、根治療法ではないので、ステロイドを塗るのをやめるとまた症状が出てくることがあるのも当然です。このことを称して「リバウンド」と言う人がいますが、これは正確な表現ではないように思います。


 アトピー性皮膚炎以外の湿疹などの場合、ステロイドを塗ると劇的に症状が消えて、そのまま治ってしまうこともありますし、アトピーで悩む患者の場合でもステロイドによって一時的に痒みと炎症を抑えることで、眠れぬ夜が減って心身の状態が安定するなどといった効果があります。ただ、強いステロイドを長期間使い続けていると副作用が生じることはよく知られていることであり、これに対する患者の不安を煽ることでアトピーグッズを売りつけている民間療法者や業者がいることからも、医師はステロイド治療の意味と目的、その限界と問題点について患者にきちんと説明し、正しい使い方を指導する義務があるでしょう。


 医師の説明が不足しているが故に、症状の一進一退を繰り返しながら、なかなか完治しないアトピーに業を煮やした患者が、別の医師に診てもらうようになったり、民間療法などに手を出したりしながら、自分に合った治療法を探し回るようになることを俗に「アトピー・ジプシー」と呼びます(ヨーロッパにおけるジプシーの文化と歴史に関心のある僕としては、このようなジプシーに対する偏見的イメージに基づく表現を本当は使いたくないのですが)。そうならぬためにも、医師との意思の疎通、信頼関係の確立というのはとても大切なことだと思います。


 ところで、巷には圧倒的多数の紛い物を含めて、様々なアトピー療法やアトピーグッズなるものが存在します。どうしてこんなに様々なものが出てくるのかと言うと、アトピー治療には即効性のある決定打がないからでしょう。先述のように、アトピーは免疫機構の誤作動によって起こるものですが、それに複合的な要因が絡み合っている場合があるため、治療を受けていても症状は一進一退を繰り返しますし、多くの医師は対症療法でとりあえず症状を抑えながら、長期的には体質を徐々に改善していくことを目指します。しかし、患者やその家族はどうしても一進一退の状態に対して焦りを感じてしまい、つい色々なことを試したくなるのです。


 勿論、怪しげな民間療法やアトピーグッズであっても、100人のうち10人くらいは症状が緩和されるかも知れませんし、その内の3人くらいは本当に治るかも知れません。しかし、それが全ての患者に合うとは限らず、結局患者は様々なものを試した上で運良く自分に合ったものを見つけ出すか、あるいは「アトピー・ジプシー」の旅によって疲れ果ててしまうかのいずれかです。しかし、ひどい場合には騙されて大きな出費をするハメになるケースもありますので、こうしたものに対しては少々警戒心が必要でしょう。


 また、昨今急増している成人性アトピーは精神的なストレスが引き金となって発症することがあるそうです。とは言え、僕はあまりメンタルな要素を強調し過ぎるのもどんなものかという気がします。あらゆる病気は気の持ちようと深い関係があり、それは何もアトピーに特有のことではありません。誰かが病気で苦しんでいるときに、その原因がメンタルな面にあると言われると、患者やその家族はかえって混乱することもあります。重度のアトピーで苦しむ子供を持つ両親のところに、新興宗教の人がやってきてそういうことをまくし立てたために、両親が意味もなく不安や自責の念にかられたというケースもあるそうですから、こういうことを気にし過ぎるのも考えものでしょう。


 しかし、アトピーに対する世間の無知と無理解のために患者が抱える精神的なストレスの大きさについては、僕たちもよく理解しておく必要があります。アトピー性皮膚炎がひどくなると皮膚がボロボロになり、髪の毛や眉毛が抜け落ちたりするので、その外見が損なわれてきます。また、皮膚から滲み出てくる体液のために体臭もひどくなってきます。このため、アトピー患者が湯治に出かけた温泉で入泉を拒否されたとか、学校で苛められたとかいう例は少なくないようで、そうした体験が生み出すストレスによってさらに症状が悪化するという悪循環に陥ったりもするわけです。


 末筆ながら、アトピーで悩む全ての人が、その鬱陶しい皮膚の痒み、あるいは激しい喘息から解放される日がくることを願ってやみません。また、今回事例として紹介させていただいた僕の友人のお子さんについては、本当にアトピーなのかどうかもまだよくわかりませんが、仮にそうであったとしてもアトピーは不治の病ではないのですから、その症状の一進一退に対してあまり焦らず、少し肩の力を抜いてゆっくり治していくのがよいと思います。


(注)一般的にはアトピー性皮膚炎のことを「アトピー」と称しますが、厳密には様々な物質(ホコリ、ダニ、花粉など)に反応して抗体という蛋白を身体中に作りやすい体質が「アトピー」です。


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