拓海広志「海運への誘い」
ミクロネシア連邦にヤップという島があります。ヤップでははるか昔から男たちがカヌーに乗って南西に浮かぶパラオ諸島まで渡り、そこにある結晶石灰岩を円形に切り出して持ち帰るという航海をしていました。その石はヤップでは貨幣(石貨)として流通するのですが、石貨の価値は往復の航海の苦労や、その後のヤップでの使われ方など、島民の間で共有できる物語によって決まったと言います。
この石貨を取りに行く航海は過去100年間ほど行われていなかったのですが、数年前に僕と数名の仲間はヤップの人たちと協力して昔ながらの方法でカヌーを建造し、航海計器のなかった時代の外洋航海術を今に伝えるヤップ離島サタワルの人を船長に招いて、パラオとの間を往復する石貨交易航海を再現したことがあります。このプロジェクトに参加したヤップの若者にとって、それは失われつつあった島のアイデンティティと石貨の物語を再確認する機会になったのではないかと思います。
ところで、パラオ諸島では珍しくもない結晶石灰岩が、それを産しないヤップでは貴重な財産となるということに、僕は人類の交易の原点である「未知の世界への憧れ」と「モノを介しての異文化交流」を知る思いがしました。また、石貨を運ぶことに伴う苦労の度合がその価値を決めるということに、僕は古き良き時代の流通のあり方を偲びつつも、物語によって商品の付加価値を高めるという現代のマーケティングとも通じるものを感じていたのです。モノは運ばれることによって、それに関わる人たちの物語を紡ぐようになるのです。
人類は太古より海を越えて移動し、そこで出会った異人たちとの間でさまざまな交易や交流を行ってきました。その際に船は人の移動やモノの運搬の道具としていつも大きな役割を果たしてきましたが、航空機が発達した現在もなお海を越えてモノを運ぶ主役は船です。しかし、現代の海運業において、鉄道やトラック輸送はもちろんのこと、航空輸送との適切な組み合わせは重要な課題になっています。
さまざまな輸送モードや貨物保管の仕組みをうまく組み合わせることによって、最適物流を組み立てることが現代の物流マンの仕事ですので、船と港のこと、海運のことを知らずに物流の仕事はできませんし、逆にそれだけを知っていても不十分です。現代の物流業には運送と保管という古典的な仕事だけではなく、荷主の需要予測に基づく受発注管理と連動した在庫管理、それらを前提としたJIT配送と流通加工などを含む統合的なロジスティクスの構築、さらに場合によっては貿易代行やファイナンスなども含めた付帯サービスの提供が求められています。
また、現代の物流においては情報との連携が不可欠なのですが、特に市場競争の激化と環境問題や資源問題による社会的要請が高まり、取引企業間でのSCM(サプライ・チェーン・マネージメント)の確立が不可避となってくると、よりその重要性が高まってきます。SCMとは要するに「必要なモノを必要なだけ調達し、生産し、販売するための供給連鎖を作り上げること」なのですが、その基本となるのはより正確な需要予測を行うことと、連鎖間での在庫量と輸送量を適正量にする物流管理です。
こんなふうに現在の物流は高度化、情報化、統合化の傾向が著しいのですが、それを構築する上でやはり海運のことは無視できません。また、海運の歴史は古く、それを学ぶことによって国際関係や貿易、物流、輸出入制度などの基本を知ることができます。海と国境を越えてモノを運ぶという仕事は、自然条件による制約と輸送・荷役設備や技術上の制約、各国の諸制度による制約などに縛られながらも、安全かつ確実に、最も適切な方法と速度で輸送を行い、その上でいかに収益を上げるかということが基本的な課題ですが、昔からそうしたことと向き合ってきたのが海運なのです。
さらに、海運を知るためには船の航海についての基本を知っておく必要もあります。僕の恩師である哲学者の坂本賢三氏(故人)は、航海術とは太古よりその技法を対象化、意識化してきたものであり、かつ各時代において最先端の知識と技術を統合してきたものだと語りましたが、海運を通してその時代の世界のあり方を、また航海術を通してその時代のテクノロジーをうかがうことは可能だと思います。そういう視点から航海について考えると、船や海運に関わる人以外にとっても興味が湧いてくるのではないでしょうか?
このような問題意識の下、できるだけ多くの人に船と港と海運の基本、そして海運や港運と物流のつながりについて知っていただくために、先月僕は『ビジュアルでわかる船と海運のはなし』(成山堂書店)という本を上梓しました。よろしければ、是非読んでみてください。また、今後の改訂に際して参考にさせていただきたいので、お読みになったご意見やご感想をお聞かせいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
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