拓海広志「日本丸航海記(3)」
これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心許ないのですが、当時の練習船の雰囲気を知っていただく上では多少意味があると思いますので、思い切って当時の文章をそのまま活かした日記をここに転載しようと思います(ただし、友人たちのプライバシーに関する記述については削除しました)。
ただ、今回この古い日記を読み直して気がついたのですが、当時の日常そのものだった航海のことや訓練のこと、仲間たちとの交流についてはあまり克明に記されておらず、むしろ自分の心象風景が中心に記されているようです。プライバシーの保ちにくい練習船の船内生活でもあり、当時前者の方はあまりにも日常のことになっていて、かえって書きにくかったのかも知れません。そんな半端な日記の連載ですが、当時船の中で読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽などの紹介と共にご笑覧ください。
* * * * *
★4月22日
駿河湾沖で3度目の初期帆走訓練を実施。皆もう作業に慣れてきて、スムーズだ。
★4月23日
深日沖にアンカー。
★4月25日
神戸港入港。通常本船はポートターミナルのある第4突堤に着岸するのだが、今回はメリケンパーク開園記念式典のために寄港したので、第1突堤に着岸した。
★4月26日
小雨の中、一般公開が行われる。本船も海王丸も神戸には頻繁に寄港するため、それほど多くの人はやって来ない。
そんな中に妙に熱心に船を見学している初老の女性がいて、僕にいろいろと質問をしてこられた。彼女は神戸の北野に住んでいるそうで、すっかり帆船に魅せられたようである。
夕方、散歩上陸の許可が出たので、僕は一人で中山手界隈のパブへビールを飲みに行った。
★4月28日
総員上陸許可が出たので、県立近代美術館でカタル二ア出身の作家の作品を集めて開かれている「カタル二ア展」を観に行った。やはり、ミロの作品が素晴らしい。
北斗丸でホノルルへ行った際にブックショップで買った最新のニューヨーカー短編集の中からリチャード・フォードという作家の『スイート・ハート』という作品を選んで邦訳していたのだが、今日それが完成した。
★4月29日
朝一番に第1突堤から新しく出来たメリケンパークの岸壁に本船をシフトさせる。今日がこの公園の開園式なのだ。9時頃から宮崎神戸市長をはじめとする面々があらわれ、式が始まった。
午後は強い陽射しの下でセールドリルを行ったが、そのすぐ側ではマリーンが野外コンサートをやっていたため、士官のオーダーの声が聞こえにくくて難儀した。この日、メリケンパークには延べ16万人の人が訪れたそうである。
★4月30日
午前9時からの神戸海洋博物館の開館に先立ち、日本丸の乗組員と練習生は8時から9時の間だけ招待された。その後、13時に本船は出港。清水へ向かった。
★5月1日
清水港着。岸壁では雨中にもかかわらず、地元の商工会議所が企画したインポートフェアというお祭りが開かれており、またまたマリーンのバンドがライブをやっていた。当初の予定では本船は東京へ直行することになっていたのだが、地元の要請で急遽ここで1泊することになったそうだ。
★5月2日
朝から一般公開。ところが、本船を訪ねてくれたお客さんたちが「お高い船だな。お金を払って観に来たぞ」と言うのを聞いてビックリ。よく聞いてみると、一般公開中の本船にたどり着くためにはインポートフェアに入場せねばならず、それは有料だというのだ。これはちょっと残念な話である。
★5月3日
10時に東京の晴海埠頭に到着。と、同時に、激しい強風の中にもかかわらず、セールドリルが強行された。大観衆を集めた名古屋、大船渡、神戸とは違って、せいぜい百人ほどの関係者が見守る中での作業である。しかし、風が強すぎて少しセールを張ると船体が大きく傾き、危うくヤードが岸壁にぶち当たりそうになった。これで船長も断念し、東京港でのセールドリルはいささか中途半端な感じで終了してしまった。
★5月5日
夕方、散歩上陸許可が出たので、上野の東京都美術館まで足を伸ばし、ボロフスキーの展覧会を観た。ちなみに、彼の著作『夢をみた』は面白い。
★5月6日
夕方、散歩上陸許可が出たので、銀座でエッシャーの展覧会を観た後、映画『市民ケーン』を観る。
★5月8日
幼馴染みのUさんが妹や友達を連れて船を観に来てくれたので、船内を案内する。
★5月9日
夕方から明日の夜まで上陸許可が出たので、造形大学のM君と渋谷で落ち合い、鯨料理を食べたあと、映画『エル・トポ』を観に行った。それから高尾にある彼の下宿に泊めてもらう。
★5月10日
吉祥寺のジャブで寺山修司の遺作となった『上海異人娼館』と『田園に死す』を観てから船に戻る。
★5月13日
東京港発。大阪へ向かう。
★5月15日
午前11時、大阪の天保山岸壁に着岸。日本で一番低い山のあるところだ。北斗丸、銀河丸、青雲丸、大成丸という航海訓練所の練習船が揃い踏みしていたが、かつて僕はその全ての船に乗って実習を受けてきたので、やはり懐かしい。もう1隻の海王丸は本船と入れ替わりに入港してくるそうだ。
ここ数年、大阪市は港湾都市としてのイメージを確立しようとして、様々な試みを行っているのだが、残念ながらそれは大阪市民にはあまり浸透していない。大阪と言えば古代には難波津の港として栄えたところだし、大阪市章は「みおつくし」の形をイメージしたものなのだが、昨今の大阪人にとって海は遠い存在のようである。午後からセールドリルを行ったものの、観に来てくれる人は皆無だった。
★5月16日
終日一般公開のあと、大阪市による歓迎レセプションを催していただいた。
★5月19日
大阪港発、神戸に向かう。第4突堤のポートターミナル真横に着岸。今回はいよいよ遠洋航海へ向けての本出航前の停泊となる。夕方から明日の夜まで上陸許可が出たので、東京在住のS君と長野在住のO君の2人を舞子にある我が家に泊めることにした。
中学以来の悪友であるバンドマンのR君が真っ赤なカマロを乗りつけて迎えに来てくれたので、S君、O君と共にそれに乗り込み、我が家に向かった。R君の恋人Wさん(R君のバンドでボーカルをやっている)、やはり中学以来の友人で学生起業家のMさんなど、いろいろな人がやって来て、いつの間にか大バーベキュー・パーティーになってしまった。
★5月20日
初めて神戸に来たと言うS君、O君を連れて明石、舞子、塩屋、須磨の海岸線をドライブし、六甲を越えて有馬温泉へ行き、汗を流してから本船に戻った。
★5月21日
前回の神戸入港時に一般公開に来られた北野在住の初老の女性Yさんが訪船してくださった。船を案内したお礼に是非夕食をご馳走したいと言ってくださるので甘えさせていただき、南京街で中華料理をご馳走になった。Yさんの息子さんは演劇関係の雑誌を作っておられるそうで、話が弾んだ。
★5月23日
高校のバレーボール部の後輩たちが10人ほど集まり、誘いに来た。垂水の浜で闇鍋パーティーを開こうと言うのだ。僕は大学時代に2年間彼らのコーチをしていたことがあるので、彼らとは仲が良いのだ。コートで共に汗を流した良き仲間たちである。
浜近くの材木屋で廃材を分けてもらい、それで大鍋を煮る。中に何が入っているかは、皆の良識と愛情を信じるしかない。ギターを爪弾きながら、酒を酌み交わし、鍋を喰らう。意外に旨い!
明石海峡を行き交う船の灯火や淡路島・岩屋の街明かりを眺めながら、やはりここが僕の原風景なんだと改めて感じた。気がつくと、どこで聞きつけたのか僕の柔道仲間やカヌー仲間も集まってきて大宴会となり、とうとう朝まで飲んでしまった。
★5月24日
少し仮眠したあと、酔い覚ましに舞子の浜へ泳ぎに行く。明石海峡の強潮に流されながら遊ぶのは舞子育ちの浜っ子のたしなみである。気分は爽快だ。夜は再び柔道仲間が誘いに来てくれたので、垂水の福田川沿いのスナックで飲んだ。
(無断での転載・引用はご遠慮ください)
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