拓海広志「北斗丸航海記(2)」

 これは僕が商船大学の学生だった頃、9ヶ月に及ぶ卒業航海の中で綴っていたメモのような日記です。今から20年も前の学生時代に書いた青臭い日記を公開するというのはかなり気恥ずかしく、また「そんな文章を読んでくれる人がいるのかな?」と考えると少々心許ないのですが、当時の練習船の雰囲気を知っていただく上では多少意味があると思いますので、思い切って当時の文章をそのまま活かした日記をここに転載しようと思います(ただし、友人たちのプライバシーに関する記述については削除しました)。


 ただ、今回この古い日記を読み直して気がついたのですが、当時の日常そのものだった航海のことや訓練のこと、仲間たちとの交流についてはあまり克明に記されておらず、むしろ自分の心象風景が中心に記されているようです。プライバシーの保ちにくい練習船の船内生活でもあり、当時前者の方はあまりにも日常のことになっていて、かえって書きにくかったのかも知れません。そんな半端な日記の連載ですが、当時船の中で読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽などの紹介と共にご笑覧ください。


   *   *   *   *   *


★1月19日
 高田馬場で映画『熱海殺人事件』『キネマの天地』を観たあと、銀座に戻り百貨店でやっていたガウディの写真展を見る。夕方、幼馴染みのUさんと会い、ビヤホールで一杯やってから晴海の船に戻った。


★1月22日
 いよいよ本出航の日である。O君とUさんが見送りに駆けつけてくれた。13時から出航式。航海日数の長い帆船とは異なり、次の上陸まで(ホノルル)わずか10日だし、日本に戻ってくるのは1月半後なので、出航式というのも何やら仰々しいが、これもまた一つのけじめである。
 やがて出船の銅鑼が鳴り響き、見送りの人は船を降りる。各配置部署での出港作業が一段落つくと、舷側に並んで答舷礼を行い、見送りの人たちにお礼と別れを告げる。「ごきげんよう〜!」と・・・。


★1月23日
 野島崎を過ぎ、いきなり激しい低気圧に遭遇。今回の航海は東京からホノルル、サンディエゴと太平洋を渡り、再び東京に戻ってくるというコースなのだが、余程の「時化男」が乗船していたのか、東京〜ホノルル間とサンディエゴ〜東京間は長年船に乗っているボースン(甲板長)までが「こんなに長く続くのは初めてだ」というくらいひどい悪天候続きとなってしまった。
 思い起こせば1年生の冬に銀河丸という練習船で東京から高知を経て沖縄へ向かった際に、やはり低気圧にやられてひどい船酔いに悩まされた経験がある。客で乗っているのならば酒でも飲んで寝ていれば船酔いはごまかせるが、我々の場合はそうはいかない。特にブリッジでレーダープロッティングやチャートワークをやったり、重油臭のきついエンジンルームで作業をしているときはきつい。僕らは牛のように、喉元までこみ上げてきたものをもう一度噛み直して飲み込み、船酔いを克服したものである。
 船酔いというのは誰でもかかるもので逃れようはないが、慣れによってかなりの程度まで克服できるようになる。ただ、その際に内臓の強い人の方がよく克服できるようだ。僕もいつの間にか余程体調の悪いときにしか船酔いは起こさなくなっているが、体質的にどうしても駄目だという人もいて、今回の航海でもあまりに船酔いがひどくて全く食事が摂れず、吐いてばかりいたために脱水症状を起こしてしまい、点滴を受けて栄養補給しながら実習を続ける人すらいた。僕は船酔い組が手をつけなかった食事をもらっていつも二人前を食べていたため、危うく彼らの恨みを買うところだった(笑)。


★1月24日
 冬の北太平洋の波は凄まじい。大きなうねりの上から下に落下するときはまるで滝から落ちていくような感じで、そのパンチングの衝撃には「痛い!」という表現をしたくなる。ブリッジも常に頭から波しぶきをかぶっているので、ルックアウト(見張り)やリーサイド(風下という意味。転じて気象観測)のためにウィング(ブリッジの両サイドに突き出たスペース)に出るときは波にさらわれかねず、結構緊張する。


★1月25日
 もうコンパスやレーダーを用いて沿岸物標に対する方位と距離を取り、そこから本船位置を求める沿岸航海は終り、大洋航海に入っているのだが、相変わらずの悪天候が続くため、天測によって太陽や星の高度を測り、そこから本船の位置を導き出す天文航法はまだできず、デッカやロランで船位を求めて走っている。
 今日の観測では気圧980、風力10を記録。ローリング(横揺れ)は左舷34度にまで達した。帆船の場合は常にリーサイド(風下)側に船体を傾けて走るし、波や風に逆らわないから、仮に40度くらいに傾いたとしてもそれほどきつい感じはしない(勿論、生活や作業がしづらく、危険ではあるが)。しかし汽船の場合はそうはいかず、ローリングが30度と言っても実際には右30度から左30度の間をヤジロベエのように揺れるわけで、かなりきつい。
 我々の実習の方は、まだ天測ができないため、その複雑な計算に追いまわされることはないが、それでも様々な課題や作業があって、なかなか忙しく、船酔い組の人たちが青い顔をして頑張っているのを見ると気の毒だ。
 船酔い組への遠慮もあって、夜のワッチが明けた後の小宴も控え気味なので、僕はワッチ明けにはボンク(ベッド)の中で、ウォークマンコルトレーンの『バラード』を聞きながら、缶ビール片手に文庫本を読むことにしている。共同生活が前提の船内にいて、唯一独りになれる一時だ。


★1月26日
 総端艇部署操練が行われる。これは船が沈没の危機に瀕した際に、全員が本船を放棄して端艇に乗って逃げ出すことを仮定した操練である。この他に防火部署操練、防水部署操練、救助艇操練(人が海中に転落した際に、本船を反転させてその地点に接近し、救助艇を出して助ける操練)、ブラックアウト操練(本船の発電機が故障し、操舵等ができなくなった場合に対処する操練)などがあり、そのいずれも練習船では頻繁に行われる。
 今日の総端艇部署操練は相変わらずの悪天候の中で行われたため、皆いつも以上に緊迫した雰囲気の中での操練となった。結局、端艇を海面近くまで降ろしはしたものの、あまりに海面状態が悪くて危険だというキャプテンの判断で、実際に海に降ろして漕ぎ出しはしなかった。
 豪胆なK士官などは、「何だよ! 事故で実際にライフボートを降ろすのは、もっとひどい状況のときがほとんどだぜ!」とおっしゃっていたが、その通りである。でも、この状況で実際に端艇を降ろしていたら、数艇は間違いなく転覆していたことだろう(笑)。


★1月27日
 まだ天気が良いとは言えないが、風波はかなりおさまり、今まで死んだような顔をしてふらついていた船酔い組にも元気が戻ってきた。
 我々は夜間の4時間のワッチ後、キャプテンへの報告、船内巡検、ログブック(航海日誌)作成などの作業を終えると、大抵同じ班の仲間と一緒に軽く酒を飲む。これはときには同じワッチに入っていたオフィサー(士官)やクルー(乗組員)も加わっての小宴にまで発展することもあるのだが、陸上とは違う時間感覚、空間感覚に身を浸しているせいか、とても酒がうまく、話も楽しい。
 船乗り達は狭い船室の中で車座になり、こんなふうに語り合うことを「カタフリ」などと呼ぶのだが、その語源は明らかではない。しかし、たまには酒癖の悪い人もいて、深酒になるとカラミ始めることもある。
 この日は久しぶりに揺れが収まって落ち着いて飲めたせいだろうが、乱酔者が出て喧嘩を始めた。その時、僕らの班は次直(次にワッチに入る班)だったので、ボンクで熟睡していたのだが、前直班のワッチ明け飲み会は何故か二人による殴り合いの喧嘩にまで発展してしまったようだ。
 二人は激しく殴り合い、取っ組み合いながら、僕らの部屋にまで転がり込んできたため、僕は「やかましい! 出て行けよ!」と怒鳴りつけた。が、次の瞬間、それまでいがみ合っていた二人は突如標的を僕に定め直し、こちらに向かってきたのである。やれやれ、何てこったよ!


★1月28日
 ようやく空に晴れ間が見え始め、天測が可能になってきた。天測には様々な方法があるが、主として午前中太陽の高度を何回かに分けて六分儀で測定しておき、正午に最も高くなった時のものを測定後、それらのデータに基づいて作図して本船の正午位置を求める方法と、夜間に幾つかの星の高度を測定して、それらのデータをもとに作図して本船の現在位置を求める方法が使われる。
 天測の理屈はさほど難解ではなく、関数電卓があれば球面三角形の三角関数の定義を利用してすぐに答えが出てくるのだが、実習生には関数電卓を使わずに天測計算表を用いて計算することが義務付けられているので、なかなか大変だ。慣れるまでの間は、当直時間以外の自由時間の全てを天測計算の為に費やさざるをえないほどである。
 ところで、本船は今日、日付変更線を通過し、西経入りを果たした。通過の瞬間には汽笛を鳴らし、それを祝した。かくて我々は明日もまた1月28日を繰り返さねばならない。


★1月28日(R)
 今、暇を見つけては昔作った「吉本隆明ノート」の整理をしている。これは同氏の著作のうち20冊ほどの要旨と僕の感想などを大学ノート2冊分に纏め上げたものであるが、この作業をしていると、船上のように労働とか生活とか思想とかがごっちゃ混ぜになっている「現場」にいても同氏の「言葉」がしっかり届いていることを再認識させられる。
 他方、日本のポストモダンを標榜するアカデミストたちの言説はこうした「現場」には届かないように、僕には感じられる。日本のポストモダンはフランスの現代哲学から大きな影響を受けているのだが、それは理論上のことに過ぎず、社会あるいは世界と対峙する際の切迫感はまるで違うように思える。むしろ、それらから遠いと思われがちな吉本隆明の方が、フランスの現代哲学者たちと同様の切迫感を持っているのではないだろうか。
 軽薄な形而上学で満ちたポストモダン的な思想潮流が蔓延する現代の日本だが、こんな状態がこれから10年ほども続いていくと、世界や社会の「現場」を取り込みながら、それらを再構築しようという「産みの苦しみ」の中にいる西欧社会と日本社会の差は歴然としてくるのではないだろうか。
 無学な学生の僕が言うのは生意気過ぎるかも知れないが、経済的繁栄に酔う日本の弱点がいずれ大きく露呈してくるような気がしてならない。


★1月30日 
 朝のヨンパー直に入っているときにカウアイ島の横を通過。早くもハワイにやって来てしまった。午後にはオアフ島のホノルル沖にアンカーし、検疫などの入国手続きが開始された。
 久しぶりにのんびりした夜は、晴海を出航する前に僕が勝どきのレンタルビデオショップで借りてきたマルクス兄弟の『二挺拳銃』と『インディジョーンズ・魔宮の伝説』のビデオを食堂(兼・教室)で上映し、皆でビールを飲みながらの映画鑑賞会となった(何故か僕はこういう時に船内でビデオを上映する役目を皆から仰せつかっているのである)。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)


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