拓海広志「珍味をめぐる旅(1)」

 今から7年ほど前のことになるが、当時シンガポールに住んでいた僕が客人と夕食を共にしたときの話である。訪ねた海鮮料理屋でメニューを眺めていたら、「ウミウシの卵のスープ」というものが載っていたので(何故か日本語で書かれていた)、試みにそれを注文してみた。勿論、メニューに「ウミウシ」とは書いてあったものの、多分「アメフラシ」のことだろうと思ってのことだ。


 僕も長年にわたって世界と日本の各地をうろうろしてきたので、もう大抵のものは食べてきたつもりなのだが、俗に海素麺とも呼ばれるアメフラシの卵を食するのは初めてのことである。もっとも、アメフラシ自体は串焼きにして食べたことがあり、形状は大きなナメクジといった感じであっても、さすがにサザエやアワビの仲間というだけあって、それは確かに貝の食感であった(注:アメフラシの身も卵も毒性を持つことがあるので、食用にする際には注意が必要)。


 子供の頃、神戸の垂水浜へ行くとアメフラシはたくさんいたが、よく何匹か捕まえて家に持ち帰り、盥の中で飼ったりしたものだ。産卵期の朝になると浜一面を覆い尽くすほど多くのアメフラシが集まって来て、何とも不気味で神秘的な光景を見せるのだが、埋め立てによって浜のなくなった垂水にとって、今はもう昔の話である。


 スープの具となったアメフラシの卵はゼラチン状に加工されており、そのせいか見た目も食感もフカヒレとハルサメの中間という感じであった。それにしても、いつものことながら中国人の食に対する探求心の貪欲さには驚かされる。一体、中国人以外の誰がアメフラシの卵なんぞをこんなふうに調理して食べる努力をするものだろうか。こうした感慨を抱くのは今回が初めてのことではないが、全く彼らの情熱には頭が下がってしまう。


 それで僕はアメフラシの卵スープを飲みながら、かつて自分が食べてきた珍味の数々を回想してみたのだが、さっと思い浮かぶだけでも実にいろいろなものがあった。勿論、これらはあくまでも僕にとっての珍味であり、人によってはこれらを珍味とは思わないこともあるだろうし、逆に僕が珍味とは認識せずに食べているためにここには記載していないものを、他人が珍味だと認識する場合があることも承知の上での記述である(こうして列挙してみると、珍味にたくさん出会えるのはやはりアジア太平洋地域のようだ)。


(*)アモイで食べたカブトガニの炒めもの(卵付き)
(*)沖縄で食べたウミヘビ(イラブー)のスープ
(*)沖縄で飲んだハブ酒
(*)補陀山(中国)で食べたイソギンチャクのスープ
(*)北京で食べたサソリの唐揚げ
(*)北海道で食べたトドの焼き肉(肉と内臓)
(*)北海道で食べた鮭の臓物料理(アイヌ料理
(*)奥吉野で食べたツキノワグマのすき焼き(現在は禁猟)
(*)奥吉野で食べた鹿の刺身
(*)奄美で食べた山羊の刺身
(*)隠岐で食べたカメノテの味噌汁
(*)隠岐で食べたフジツボの味噌汁
(*)新潟で食べた野ウサギの臓物の炙り焼き
(*)小笠原で食べたウミガメの刺身
(*)セーラムインドネシア)で食べたウミガメのスープ
(*)セーラムインドネシア)で食べたウミガメのゆで卵
(*)広州で食べたオオサンショウウオの焼き肉
(*)マナド(インドネシア)で食べた犬肉の煮込み料理
(*)重慶で食べたアヒルや豚の臓物&屑肉鍋
(*)香港で食べたカエルの輸卵管(デザートとして)
(*)パダン(インドネシア)で食べた牛の脳味噌の香辛料煮込み
(*)ジャカルタで食べたタツノオトシゴのスープ(薬膳)
(*)テルナテ(インドネシア)で食べたヤシガニの炭火焼き
(*)トラジャ(インドネシア)で飲んだニッパ椰子の発酵酒
(*)ヤップで食べたマングローブ蟹の炭火焼き
(*)ヤップで飲んだココ椰子の発酵酒
(*)ヤップで噛んだビンロウジュの実
(*)ヤップで食べたシャコガイの刺身
(*)パラオで食べたフルーツバット(コウモリ)のスープ
(*)フィジーで飲んだカヴァ
(*)大分で食べた魚の鰓やウキブクロの料理
(*)佐賀で食べたムツゴロウの甘露煮
(*)佐賀で食べた大クラゲの酢の物
(*)佐賀で食べたメカジャの塩茹で
(*)佐賀で食べたガニ漬け
(*)佐賀で飲んだワラスボ酒
(*)三次で食べたサメの刺身
(*)気仙沼で食べたサメの心臓の刺身
(*)外房で食べたアメフラシの串焼き
(*)煙台で食べたザリガニの天麩羅
(*)大連で食べたヤドカリのハサミの炒めもの
(*)上海で食べたアヒルの水掻きの煮付け
(*)上海で食べたカイコのさなぎの蒸しもの
(*)上海で食べたタウナギの炒めもの
(*)伊那で食べたミツバチの幼虫
(*)伊那で食べたカラスの串焼き
(*)信州で食べたイナゴの佃煮
(*)高知で食べたホネガイの刺身
(*)高知で食べた法螺貝の刺身
(*)釜山で食べたユムシの炒めもの
(*)釜山で食べた活きタコの腕(躍り食い)
(*)ホーチミンティーで飲んだヤモリ酒
(*)神戸の住吉川で捕ったモクズガニの蒸し料理
(*)明石で食べたマダコの卵の吸い物
(*)紀伊勝浦で食べたマグロの臓物料理
(*)太地で食べたクジラの臓物のうでもの(茹でたもの)
(*)新宮で食べたウツボ料理
(*)新宮で食べたサンマのなれずし
(*)志摩で食べたマンボウの刺身
(*)函館で食べたヤツメウナギの煮付け
(*)ブリスベーンで食べたワニのステーキ
(*)ブリスベーンで食べたカンガルーのステーキ
(*)近江で食べた鮒ずし(なれずし)
(*)食用蟻の甘露煮(缶詰入り)(原産地は不明)
(*)メキシコで食べたチョコレートの料理
(*)ヘルシンキで食べたトナカイ料理
(*)ヘルシンキで食べた雷鳥料理
(*)タイ北部で舐めたタガメ醤油


 僕が思うに珍味には大きく分けて三種類あり、一つは救荒食的な要素を持ち、厳しい自然環境下において食糧となりうるものを見つけるべく努力してきた先人の知恵の結晶とも言えるもので、僕が上記した珍味類の多くはこれに属するように思う。漁師や猟師が商品となる魚や動物の肉を売ったあとに残る臓物や骨、軟骨などの屑物を上手に加工して自分たちの食材に変えていったものも、広義に分類すればこの中に入るだろう。


 次はグルメ的な追求の結果、あるいは薬膳的な追求の結果として生まれてきたもので、特にかつての中国の宮廷においてこの種の「究極の料理」的なものが数多く生み出されてきたことはよく知られている。勿論、それにはいささか悪趣味なものも含まれるが、もともと庶民にとっての救荒食的な性格の強かった食品をソフィストケートさせることによって希少価値の高いものに変えていった例も少なくはなさそうである。


 だが、極めて当たり前のこととは言え、世間で「珍味」と称されるものであっても、それを日常的に食している地域の人々にとっては珍味でも何でもないこともあるし、かつて日常的に食されてきたものが、資源量の減少や人々の嗜好の変化によってあまり食されないようになり、やがてそれらが珍味扱いされるようになってしまった例も少なくはない筈だ。ある特定の地域、時代における日常食が、そうした食文化を持たない地域、時代(異文化)から見ることによって「珍味」となるものをもう一種ということにしよう。


 つまり珍味には「救荒食的なもの」、「グルメ追求型のもの」、「異文化からの視点によるもの」の三つがあるということだが、一つの食品に対してこれらの三要素がお互いに絡み合っているケースが多いことは言うまでもない。むしろ、僕たちが今日口にする珍味の大半にはこれら三つの要素が少しずつ入り混じっていると考えた方がわかりやすいだろう。


 例えば、近江の鮒ずしなども古代においては魚肉、魚卵を長期保存することが主目的であった筈なので、広義での救荒食的な要素があったと言えるが、それは調理法の大きな変化を嫌う神饌的な要素を持ちながらも、歴史の流れの中でよりソフィストケートされて美味なる食品へと変化してきたグルメ追求型の面もある。とは言え、鮒ずしは近江地方におけるポピュラーさに比して、それ以外の地方にまで敷衍していったわけではないことから、異文化から見ることによってのみ珍味という位置付けが出来る食品だとも言えるのだ。


 だが、総じて言えることは、珍味の多くはそれを生み出した土地の風土や人々の文化と密接なつながりを持ち、珍味を通してそうした人々の暮らしのあり方を語ることができるだろうということである。僕にとって旅の先々で珍味を食し、珍味を語る意味というのは、正にその点にあるのだと言える。逆に言えば、そういう視点のないままグルメ指向だけで珍味を追い求めるのは、いささか悪趣味な気もするのである。


 第一次産業を全面的に放棄し、第二次産業についてもハイテク産業への特化傾向の著しく高いシンガポールは、自らはモノを生み出すことをせず、貿易、情報、金融、物流、人流のハブとして生きていこうとしている国である。この狭い人工的な島で生きる人々は、日々の仕事や生活の中で生じたストレスをショッピングとグルメ指向の強い外食巡りで発散することが多いのだが、ここで世界中から買い集められた食材を使った様々な料理を眺めていると、僕はちょっと虚しくなってくる。


 人が食物を生産したり捕獲し、それを加工したり調理して食品へと変えていくプロセスというのは、人が自然と対峙しながらも、その恩恵を得ながら生きていることを示す重大な儀式のようなものではないかと思うのだが、シンガポールにおいてそうしたことをイメージするのは非常に困難である。だから僕はこの国ではあまり「珍味」を探求する気にもなれないのだが、冒頭でご紹介したアメフラシの卵入りスープはその珍しいケースだったと言えよう。


 だが、その食材の背景が見えない珍味を食べるだけでは、その場限りのグルメ的楽しみだけで終わってしまうので、もし次に同じ海鮮料理屋へ行く機会があれば、アメフラシの卵がどこからどんなふうにやってきたものなのか、またどんな風に保存、加工、調理するものなのかを探ってみたいと思う。僕にとって珍味を巡る旅は、人と自然の関わりを探求する旅でもあるのだから・・・。


(無断での転載・引用はご遠慮ください)



【ソウルの食堂にて】



【ムンバイの市場にて】



【新宮のウツボ料理専門店「やはま」の矢濱士朗さんと奥様。僕がいつもお世話になっているお店】


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